【回顧録】“英雄”シメオネのアトレティコでの功績を振り返る――2011-2016

カテゴリ:ワールド

サッカーダイジェストWeb編集部

2016年05月03日

2012年に再会を果たしたシメオネとアトレティコ。

2012年1月に低空飛行を続けていたアトレティコの立て直しを託されたシメオネ。両者の関係はここから再び始まった。 (C) REUTERS/AFLO

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 2006年2月、35歳で選手生活に幕を下ろしたシメオネ。「監督をやるために早いうちに引退したいとずっと思っていた。そのために決断が必要だった」と語った彼は、ユニホームを脱ぐとすぐに、新たなキャリアをスタートさせた。
 
 現役最後のクラブとなった母国アルゼンチンの名門ラシン・クラブを3か月間率いた後、同年5月にエストゥディアンテスの監督に就任し、いきなり前期リーグ優勝。07年12月より指揮を執ったリーベルでも、08年に後期リーグ優勝を果たした。
 
 その現役時代と変わらない絶大なカリスマ性とリーダーシップは、往年の名選手で有名なコメンテーターでもあったロベルト・ペルフーモから「生まれながらの監督だ」と絶賛されるなど、飛躍的に評価を高めていった。
 
 と同時に、その評判は国外にも知れ渡り、11年1月にはイタリアのカターニャが、前年までサン・ロレンソを率いたシメオネを招聘する。監督として欧州に舞い戻った彼は、シーズン途中の就任ながら、降格の危機に瀕していたクラブを立て直してセリエA残留に導いた。
 
 シーズン終了とともにイタリアを去り、再び母国でラシンの監督を務めたシメオネだが、すぐに欧州へとんぼ返りすることとなる。行き先はスペインのマドリード――。
 
 12年1月、彼はアトレティコ・マドリーの監督に就任。思い出のクラブと、2005年以来の再会を果たしたのである。
 
 当時のアトレティコは、知将グレゴリオ・マンサーノが指揮していたが、その攻撃重視の戦術は安定感に欠け、国王杯では2部B(実質3部)チームのアルバセーテに不覚を取るなど、ここ一番に弱く、“ドブレッテ(2冠)”を成し遂げた頃の強さは、見る影もなかった。
 
 そんな古巣の再建を託されたシメオネは、持ち前の求心力で瞬く間に怠慢だったチームにハードワークと規律の植え付け、就任直後からリーガで6試合連続完封を果たすなど、課題だった守備の改善に成功する。
 
 こうしてシメオネに導かれ、不安定が代名詞だったアトレティコは、芯の通った闘う集団へと変貌し、リーガでは13位から5位にまで浮上した。
 
 さらに決勝トーナメントに勝ち進んでいたヨーロッパリーグ(EL)でもリーガでの勢いそのままに、ラツィオやバレンシアといった難敵を退け、一気にファイナルへと駆け上がり、アスレティック・ビルバオとの同国対決に臨んだ。
 
 この決戦でも、自信を深めていた堅守速攻のリアリスティックなスタイルを貫いたチームは、マルセロ・ビエルサの下で攻撃的なサッカーを展開し、旋風を巻き起こしていたビルバオを3-0で下し、欧州タイトル獲得したのだった。
 
 
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