前半戦には考えられなかった状況になっている。
その観点から言えば、代表戦で負った怪我は、本田にとって全面的にネガティブとは言い切れない。チームメイトの無様な試合を観戦する羽目になったが、それでも1試合は休めたからだ。
アタランタ戦の前日会見(土曜日)でミハイロビッチは「もし本田が真のサムライならば、プレーするはずだ」と言っていたが、実際には金曜日の段階で彼を起用しないことを決めていた。
ただ問題は、前述した代役の不在だ。1月の時点では本田の一番のライバルと考えられていた冬の新戦力ケビン=プリンス・ボアテングは、ミハイロビッチを納得させられなかった。アンドレア・ポーリも右サイドハーフをこなすがセントラルMFのバックアッパーの位置づけで、同じく中盤のマルチであるユライ・クツカが故障中だったアタランタ戦では、本来サイドバックのマッティア・デ・シリオが本田の代わりを務めた。しかし、不慣れなポジションで散々な出来だった。
今更だがこの状況は、期待に応えられない選手、本田以外を右サイドハーフでほとんど試さなかったミハイロビッチ、そしてひいては本田の有益な代役を与えなかった首脳陣、すべて平等に責任がある。
いまミハイロビッチは、本田の復活を気を揉みながら待ち望んでいることだろう。前半戦には考えられなかった状況だ。なにしろ指揮官は、背番号10に11試合連続でベンチスタートを言い渡していたのだから。
無理もない。次の試合はセリエA最大の強敵、首位ユベントスとの一戦だ。おまけにこの試合が酷い結果・内容に終われば、ミハイロビッチのミランにおける冒険に終止符が打たれる可能性がある。
ちなみに、最近のガッリアーニ副会長は本田をベタ褒めしている。「すべてのプロ選手のお手本だ」と繰り返し発言するほどで、例えミハイロビッチが解任されたとしても、彼のミランにおける未来は明るいかもしれない。
もちろん、先のことは誰にも分からない。しかし、今シーズン前半戦に半ば戦力外の扱いを受けていた本田はいま、監督、選手、そして首脳陣から絶大な信頼を集めるまでになった。激賞に値する努力と反骨心である。
文:マルコ・パソット(ガゼッタ・デッロ・スポルト紙)
翻訳:利根川晶子
【著者プロフィール】
Marco PASOTTO(マルコ・パソット)/1972年2月20日、トリノ生まれ。95年から『ガゼッタ・デッロ・スポルト』紙で執筆活動を始める。2002年から8年間ウディネーゼを追い、10年より番記者としてミランに密着。ミランとともにある人生を送っている。
アタランタ戦の前日会見(土曜日)でミハイロビッチは「もし本田が真のサムライならば、プレーするはずだ」と言っていたが、実際には金曜日の段階で彼を起用しないことを決めていた。
ただ問題は、前述した代役の不在だ。1月の時点では本田の一番のライバルと考えられていた冬の新戦力ケビン=プリンス・ボアテングは、ミハイロビッチを納得させられなかった。アンドレア・ポーリも右サイドハーフをこなすがセントラルMFのバックアッパーの位置づけで、同じく中盤のマルチであるユライ・クツカが故障中だったアタランタ戦では、本来サイドバックのマッティア・デ・シリオが本田の代わりを務めた。しかし、不慣れなポジションで散々な出来だった。
今更だがこの状況は、期待に応えられない選手、本田以外を右サイドハーフでほとんど試さなかったミハイロビッチ、そしてひいては本田の有益な代役を与えなかった首脳陣、すべて平等に責任がある。
いまミハイロビッチは、本田の復活を気を揉みながら待ち望んでいることだろう。前半戦には考えられなかった状況だ。なにしろ指揮官は、背番号10に11試合連続でベンチスタートを言い渡していたのだから。
無理もない。次の試合はセリエA最大の強敵、首位ユベントスとの一戦だ。おまけにこの試合が酷い結果・内容に終われば、ミハイロビッチのミランにおける冒険に終止符が打たれる可能性がある。
ちなみに、最近のガッリアーニ副会長は本田をベタ褒めしている。「すべてのプロ選手のお手本だ」と繰り返し発言するほどで、例えミハイロビッチが解任されたとしても、彼のミランにおける未来は明るいかもしれない。
もちろん、先のことは誰にも分からない。しかし、今シーズン前半戦に半ば戦力外の扱いを受けていた本田はいま、監督、選手、そして首脳陣から絶大な信頼を集めるまでになった。激賞に値する努力と反骨心である。
文:マルコ・パソット(ガゼッタ・デッロ・スポルト紙)
翻訳:利根川晶子
【著者プロフィール】
Marco PASOTTO(マルコ・パソット)/1972年2月20日、トリノ生まれ。95年から『ガゼッタ・デッロ・スポルト』紙で執筆活動を始める。2002年から8年間ウディネーゼを追い、10年より番記者としてミランに密着。ミランとともにある人生を送っている。