「フットゴルフのプロ化や五輪種目に採用されるよう、深く関わっていきたい」
“引退中”はまず、さいたま市内のフットサル場でスクールコーチを受け持った後、07年のアヴェントゥーラ埼玉(現アヴェントゥーラ川口)創設に携わり、1年目で埼玉県社会人リーグ1部優勝を果たす。1年半コーチを務め、東京都大学リーグ2部の明治学院大コーチとなり、2年間在籍して1部に昇格させた。
自分でチーム作りをしたいという気持ちが強くなってきた12年、指導者を探していた名古屋経済大で初めて“監督”の肩書が付いた。
高校へのあいさつ回りでほぼ1年間費やし、同好会だった部を抜本的に改革して13年から本格始動。2年目に愛知県大学リーグ1部で初優勝すると、入れ替え戦も制して東海学生リーグ2部昇格を果たす。3年目で頂点に立って1部に駆け上がるスピード出世を遂げ、退任するまで1部の座を堅持したのだった。
監督としての次なる仕事場は、19年に創設したはやぶさイレブン(今季から厚木はさぶさFC)だ。筑波大の同期で代表の宇野陽氏から監督就任を依頼され、「ゼロから始めるのって楽しいもの」と快諾した。宇野氏は東海大サッカー部の名監督、故・宇野勝氏のご子息だ。
神奈川県社会人リーグ3部から挑戦して1年で2部昇格。2年目には浦和で同僚だった永井雄一郎がコーチ兼任で加入し、阿部は1部に押し上げた21年をもって退任した。「初期の頃は、神奈川の高校のベスト16くらいの1年生にも勝てるかどうかという水準でした。苦労した思い出しかないけど、短期間でチームの成長を体感できたのは嬉しい」と3年間を回想した。
チームは今季、関東リーグ2部に昇格し、阿部はアドバイザーとして後方支援を継続中だ。
自分でチーム作りをしたいという気持ちが強くなってきた12年、指導者を探していた名古屋経済大で初めて“監督”の肩書が付いた。
高校へのあいさつ回りでほぼ1年間費やし、同好会だった部を抜本的に改革して13年から本格始動。2年目に愛知県大学リーグ1部で初優勝すると、入れ替え戦も制して東海学生リーグ2部昇格を果たす。3年目で頂点に立って1部に駆け上がるスピード出世を遂げ、退任するまで1部の座を堅持したのだった。
監督としての次なる仕事場は、19年に創設したはやぶさイレブン(今季から厚木はさぶさFC)だ。筑波大の同期で代表の宇野陽氏から監督就任を依頼され、「ゼロから始めるのって楽しいもの」と快諾した。宇野氏は東海大サッカー部の名監督、故・宇野勝氏のご子息だ。
神奈川県社会人リーグ3部から挑戦して1年で2部昇格。2年目には浦和で同僚だった永井雄一郎がコーチ兼任で加入し、阿部は1部に押し上げた21年をもって退任した。「初期の頃は、神奈川の高校のベスト16くらいの1年生にも勝てるかどうかという水準でした。苦労した思い出しかないけど、短期間でチームの成長を体感できたのは嬉しい」と3年間を回想した。
チームは今季、関東リーグ2部に昇格し、阿部はアドバイザーとして後方支援を継続中だ。
いま、生活の中心にあるのがフットゴルフ。ゴルフ場でサッカーボールを蹴ってホールに入れる競技にはまっている。ゴルフと同じく戦略性に富み、すべては自らの腕次第というところに魅力を感じたという。フットサル場のスクールコーチ時代に知り合った、現日本フットゴルフ協会の松浦新平会長に誘われたのがきっかけで18年から始めた。
ワールドカップには同年の第3回モロッコ大会、今年の第4回米国大会に日本代表として参戦し、今回はシニア個人で47位タイだった。
今年6月現在、国内でフットゴルフをプレーできるコースは30あり、週末になると主に栃木や群馬で練習。競技人口は年々増加し、元鹿島の青木剛のようなプロ選手も出てきた。阿部は「Jリーグ創設に尽力した人がいるように、自分もフットゴルフのプロ化や五輪種目に採用されるよう、選手としてばかりか裏方としても深く関わっていきたい」と近い将来の夢を語った。
フットゴルフに身を置くのは、まだ“引退”していないというシグナルを送っているのかもしれない。
ワールドカップには同年の第3回モロッコ大会、今年の第4回米国大会に日本代表として参戦し、今回はシニア個人で47位タイだった。
今年6月現在、国内でフットゴルフをプレーできるコースは30あり、週末になると主に栃木や群馬で練習。競技人口は年々増加し、元鹿島の青木剛のようなプロ選手も出てきた。阿部は「Jリーグ創設に尽力した人がいるように、自分もフットゴルフのプロ化や五輪種目に採用されるよう、選手としてばかりか裏方としても深く関わっていきたい」と近い将来の夢を語った。
フットゴルフに身を置くのは、まだ“引退”していないというシグナルを送っているのかもしれない。