「日本サッカーに将来があるなって、それを聞いて思ったんですよ」
――プレミアリーグは、1888年に創設された前身のフットボールリーグから数えて、100年以上の歴史を積み重ねているのに対し、Jリーグは今年で30周年です。比較的歴史が浅いJリーグはどう見ていますか?
「初めてJリーグの存在を知ったのは、ガリー・リネカーが名古屋グランパスに行くことになった時です。当時、イングランド代表のエースで、トッテナムで大活躍をしていたんですけど、プレミアリーグが始まって、ちょっと休憩を経て、日本のチームに行くと英国内でもビッグニュースになりました。
自分が初めてスタジアムで試合を見たのは、2001年のJリーグ、ヴィッセル神戸対セレッソ大阪の試合です。カズ(三浦知良)がめちゃくちゃ良いゴールを決めたのが印象的です。私が当時知っている数少ない日本人選手がその試合に出ていて、活躍したのは嬉しかったですけど、まだそんなに日本語が分からなかったので、あんまり詳しくは知れなかったです。
その後、2003年の留学の時に、応援するクラブを決めたくて、ヴィッセル神戸、ガンバ大阪、セレッソ大阪のゴール裏に行って。ガンバに行った時にマッチデープログラムを見て、知ってる選手がいるか調べたら、チキアルセというパラグアイ人選手1人だけで、もう海外のエースがベテランになったらJリーグにやってくる時代は終わったなと思いました。これから日本人選手やそれまで知らなかったブラジル人選手などが中心になって、どうなるのかと。
印象的だったのが、サポーターの数はまだそんなに多くはなかったんですけど、めちゃくちゃ熱狂的で。それからアウェー戦。生活を犠牲にして、睡眠も犠牲にして、遠いところ、日本はイングランドよりかなり面積が広いので、時間をかけて車で移動している姿を見ました。なぜそんなことをやるのか。『やっぱり大阪の街が大好き』『仕事にストレスがいっぱいあるから、週末は娯楽で爆発したい』って話をサポーターの方々から聞いたら、『あっそれ、欧州人とか南米人と同じような発想だな』と思って、これ日本サッカーに将来があるなって、それを聞いて思ったんですよ。
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「初めてJリーグの存在を知ったのは、ガリー・リネカーが名古屋グランパスに行くことになった時です。当時、イングランド代表のエースで、トッテナムで大活躍をしていたんですけど、プレミアリーグが始まって、ちょっと休憩を経て、日本のチームに行くと英国内でもビッグニュースになりました。
自分が初めてスタジアムで試合を見たのは、2001年のJリーグ、ヴィッセル神戸対セレッソ大阪の試合です。カズ(三浦知良)がめちゃくちゃ良いゴールを決めたのが印象的です。私が当時知っている数少ない日本人選手がその試合に出ていて、活躍したのは嬉しかったですけど、まだそんなに日本語が分からなかったので、あんまり詳しくは知れなかったです。
その後、2003年の留学の時に、応援するクラブを決めたくて、ヴィッセル神戸、ガンバ大阪、セレッソ大阪のゴール裏に行って。ガンバに行った時にマッチデープログラムを見て、知ってる選手がいるか調べたら、チキアルセというパラグアイ人選手1人だけで、もう海外のエースがベテランになったらJリーグにやってくる時代は終わったなと思いました。これから日本人選手やそれまで知らなかったブラジル人選手などが中心になって、どうなるのかと。
印象的だったのが、サポーターの数はまだそんなに多くはなかったんですけど、めちゃくちゃ熱狂的で。それからアウェー戦。生活を犠牲にして、睡眠も犠牲にして、遠いところ、日本はイングランドよりかなり面積が広いので、時間をかけて車で移動している姿を見ました。なぜそんなことをやるのか。『やっぱり大阪の街が大好き』『仕事にストレスがいっぱいあるから、週末は娯楽で爆発したい』って話をサポーターの方々から聞いたら、『あっそれ、欧州人とか南米人と同じような発想だな』と思って、これ日本サッカーに将来があるなって、それを聞いて思ったんですよ。
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それから日本に長く住んで、Jリーグができて20年、30年のなかで、こんだけ短い間にこんだけ成長したサッカーって世界にないんじゃないかなと。多分最初の10年、次の10年は、目に見える成長がとても分かりやすかったので、ポジティブな話も日本国内に多かったかと思いますけど、直近の10年間は成長がそんなに目に見えるものじゃないので。
『日本のサッカーはもうダメか』と悲観的な声を日本人からよく聞きますが、『いやいやいや、あの30年だけでこんだけ強い代表チームを育てて、たくさんの選手がヨーロッパの色んなリーグで活躍しているよ。30年前はプロのリーグすらなかったのに、こんだけできたのは凄くない!?』って私は思います。
今後、J1だけじゃなくて、J2、J3、その下にも、地元を代表するチームがあって、応援する人が集まるのが理想図ですが、その文化を育てるのに100年かかるものだと思います。そのためにJリーグ100年構想だと。イングランドの場合はもう150年続いているから、私のひいおじいさんが生まれた時に、もう当たり前のようにフットボールがあって。
日本の場合、30年前にJリーグができたばかりですけども、今の子どもたちは、フットボールが地元にあって当たり前のネイティブ世代になっていると思います。自分の人生の中に、Jリーグがいつできたか記憶にある非ネイティブの日本人もたくさんいますけど、時間が経つにつれて、それが良い意味で感覚的に当たり前になってくるはずです。Jリーグ創設20年の時点で、もう強い代表チームで、香川真司選手や本田圭佑選手、長友佑都選手が海外で活躍していました。今、それがどれだけ凄いことなのか、多分忘れてるんじゃないかなと少し気にもなります。
本当にトップリーグに行って活躍する選手が今はどんどん増えていますし。それは当たり前になったのは良いことですが、当たり前すぎて『あー日本のサッカー、ちょっと元気ないな』って声になるのは…いやいやいや、ちゃんと振り返ってみると、めちゃくちゃ凄いと思います。次は小さなステップになるかもしれませんけど、それは最初10年のステップが大きかったから。これから70年先、100年構想が終わるタイミングには、もうすっごいフットボール文化になってるんじゃないかなと思います。今も凄いですから」
取材・構成●有園僚真(サッカーダイジェストWeb編集部)
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今後、J1だけじゃなくて、J2、J3、その下にも、地元を代表するチームがあって、応援する人が集まるのが理想図ですが、その文化を育てるのに100年かかるものだと思います。そのためにJリーグ100年構想だと。イングランドの場合はもう150年続いているから、私のひいおじいさんが生まれた時に、もう当たり前のようにフットボールがあって。
日本の場合、30年前にJリーグができたばかりですけども、今の子どもたちは、フットボールが地元にあって当たり前のネイティブ世代になっていると思います。自分の人生の中に、Jリーグがいつできたか記憶にある非ネイティブの日本人もたくさんいますけど、時間が経つにつれて、それが良い意味で感覚的に当たり前になってくるはずです。Jリーグ創設20年の時点で、もう強い代表チームで、香川真司選手や本田圭佑選手、長友佑都選手が海外で活躍していました。今、それがどれだけ凄いことなのか、多分忘れてるんじゃないかなと少し気にもなります。
本当にトップリーグに行って活躍する選手が今はどんどん増えていますし。それは当たり前になったのは良いことですが、当たり前すぎて『あー日本のサッカー、ちょっと元気ないな』って声になるのは…いやいやいや、ちゃんと振り返ってみると、めちゃくちゃ凄いと思います。次は小さなステップになるかもしれませんけど、それは最初10年のステップが大きかったから。これから70年先、100年構想が終わるタイミングには、もうすっごいフットボール文化になってるんじゃないかなと思います。今も凄いですから」
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