2人の“舌戦”はこれからも続くだろう。
もちろん、いくら褒められても本田はベンチ暮らしを強いられた日々を忘れはしないし、ミハイロビッチも本田が不平を漏らしたことを忘れないだろう。しかし、それもサッカーの一部であり、前述した通り同じ目標に向かっている限り大きな問題にはならない。
とにかく今の本田は、ミランのプレーの中心にいる。デルビーの流れを大きく左右した重要な先制点(アレックスのヘディングシュート)は、本田の今シーズンで6本目(セリエAとコッパ・イタリアで3つずつ)となるアシストから生まれた。完璧で、そして計算尽くされたクロスで、これほどのアシストは最近のミランでは滅多にお目にかかれない。
加えてデルビーの本田の働きは、それだけではなかった。チームのために身を粉にして走るなど、守備も決して疎かにしなかったのだ。
まさにミハイロビッチの好む命令に忠実な“兵士”である本田だが、同時に必要とあれば自分の意見をしっかりと主張する。最近ではデルビー前に「自分はスピードのあるウイングではない。あくまで自分に適したポジションはトップ下だが、今のポジションも受け入れたし、すでに慣れた」とコメントした。
すると、この発言が出回った翌日にミハイロビッチは、「彼自身が自分にサイドでプレーする才能がないと言うなら、本田はベンチだね」と切り返した。しかしその後、すぐに真面目な顔をしてこう語った。
「エンポリ戦(1月23日)での本田の態度は好きではなかった。ほんの少し頭を怪我しただけで、彼はその後の空中戦を放棄してしまった。あんな怪我でその後のプレーを左右してはいけない」
このコメントからも、2人の価値観の違いがよく分かるだろう。
ちなみに、デルビー前に本田は「ミランはまだ明確な自分たちのプレーを手に入れていない」ともコメントしている。これは監督にとって、あまり嬉しくない言葉だろう。
本田とミハイロビッチの“舌戦”はこれからも続くだろう。しかし、選手と監督は必ずしも親友同士になる必要はない。仲が悪くても、“仕事”はできるのだ。
文:マルコ・パソット(ガゼッタ・デッロ・スポルト紙)
翻訳:利根川晶子
【著者プロフィール】
Marco PASOTTO(マルコ・パソット)/1972年2月20日、トリノ生まれ。95年から『ガゼッタ・デッロ・スポルト』紙で執筆活動を始める。2002年から8年間ウディネーゼを追い、10年より番記者としてミランに密着。ミランとともにある人生を送っている。
とにかく今の本田は、ミランのプレーの中心にいる。デルビーの流れを大きく左右した重要な先制点(アレックスのヘディングシュート)は、本田の今シーズンで6本目(セリエAとコッパ・イタリアで3つずつ)となるアシストから生まれた。完璧で、そして計算尽くされたクロスで、これほどのアシストは最近のミランでは滅多にお目にかかれない。
加えてデルビーの本田の働きは、それだけではなかった。チームのために身を粉にして走るなど、守備も決して疎かにしなかったのだ。
まさにミハイロビッチの好む命令に忠実な“兵士”である本田だが、同時に必要とあれば自分の意見をしっかりと主張する。最近ではデルビー前に「自分はスピードのあるウイングではない。あくまで自分に適したポジションはトップ下だが、今のポジションも受け入れたし、すでに慣れた」とコメントした。
すると、この発言が出回った翌日にミハイロビッチは、「彼自身が自分にサイドでプレーする才能がないと言うなら、本田はベンチだね」と切り返した。しかしその後、すぐに真面目な顔をしてこう語った。
「エンポリ戦(1月23日)での本田の態度は好きではなかった。ほんの少し頭を怪我しただけで、彼はその後の空中戦を放棄してしまった。あんな怪我でその後のプレーを左右してはいけない」
このコメントからも、2人の価値観の違いがよく分かるだろう。
ちなみに、デルビー前に本田は「ミランはまだ明確な自分たちのプレーを手に入れていない」ともコメントしている。これは監督にとって、あまり嬉しくない言葉だろう。
本田とミハイロビッチの“舌戦”はこれからも続くだろう。しかし、選手と監督は必ずしも親友同士になる必要はない。仲が悪くても、“仕事”はできるのだ。
文:マルコ・パソット(ガゼッタ・デッロ・スポルト紙)
翻訳:利根川晶子
【著者プロフィール】
Marco PASOTTO(マルコ・パソット)/1972年2月20日、トリノ生まれ。95年から『ガゼッタ・デッロ・スポルト』紙で執筆活動を始める。2002年から8年間ウディネーゼを追い、10年より番記者としてミランに密着。ミランとともにある人生を送っている。