「サッカーの考え方をぶっ壊された」転機となった恩師との出会い、そして別れ。初めての挫折も「練習に行くのも嫌だった」【パリの灯は見えたか|vol.3 山本理仁】
カテゴリ:Jリーグ
2023年05月02日
プロ2年目で壁にぶつかる
苦しんだ一方で、永井氏との出会いで大きく変わっていく。「永井さんとの5年半でサッカーの引き出しが増えたし、すごく大切な出会いだった」。考え方が変わり、「すごく楽しかった。練習も含めて、考え方についていけたし、自分のプレーにあっていた。むしろ、自分が生きて行く道だと思えたんです」。
この言葉通り、サッカーがさらに楽しくなった。「どこにボールを置けば、どこに出てくるのか。パズルがはまって行く感じがあった」。プレーを言語化できる感覚は日を追うごとに研ぎ澄まされ、「相手を思うように動かせる喜びを知れた」。
1年次からユースで出場機会を掴むと、高校2年生でプロの世界へ。しかし、ここからが苦難の連続だった。プロ1年目は怖いもの知らずで伸び伸びプレーできたが、2年目を迎えると壁にぶつかる。本職のセントラルMFではなく、ゲームメイク能力を買われて、CBやSBでプレーする試合も多かったのだが、本来の良さをまるで出せない。
「フィジカルが弱すぎて、当時の写真を見ればあり得ないほど細かった。アンカーやダブルボランチのポジションで試合に出るので、守備の強度が求められる。フィジカルが弱く、あの時は本当に足りていなかった。五分五分の勝負に持っていけなかったので。
ユースだとできていたんですけどね。その状況を考えて、(トップチームの監督になった)永井さんがSBやCBで起用してくれたんですけど、見える景色も違えば、味方との距離感も違う。そこからハマって、自分の原点であるサッカーを楽しむことが失われて、めちゃくちゃ悩みましたね」
初めて味わった挫折――。何をやっても上手くいかなかった。
「楽しくなかったし、練習に行くのも嫌だった。今まで壁にあたった経験があまりなかったから、解決方法が見つからず、どういう思考に持っていけばいいかも分からない。試合が怖かった。今までこんなことなかった」
この言葉通り、サッカーがさらに楽しくなった。「どこにボールを置けば、どこに出てくるのか。パズルがはまって行く感じがあった」。プレーを言語化できる感覚は日を追うごとに研ぎ澄まされ、「相手を思うように動かせる喜びを知れた」。
1年次からユースで出場機会を掴むと、高校2年生でプロの世界へ。しかし、ここからが苦難の連続だった。プロ1年目は怖いもの知らずで伸び伸びプレーできたが、2年目を迎えると壁にぶつかる。本職のセントラルMFではなく、ゲームメイク能力を買われて、CBやSBでプレーする試合も多かったのだが、本来の良さをまるで出せない。
「フィジカルが弱すぎて、当時の写真を見ればあり得ないほど細かった。アンカーやダブルボランチのポジションで試合に出るので、守備の強度が求められる。フィジカルが弱く、あの時は本当に足りていなかった。五分五分の勝負に持っていけなかったので。
ユースだとできていたんですけどね。その状況を考えて、(トップチームの監督になった)永井さんがSBやCBで起用してくれたんですけど、見える景色も違えば、味方との距離感も違う。そこからハマって、自分の原点であるサッカーを楽しむことが失われて、めちゃくちゃ悩みましたね」
初めて味わった挫折――。何をやっても上手くいかなかった。
「楽しくなかったし、練習に行くのも嫌だった。今まで壁にあたった経験があまりなかったから、解決方法が見つからず、どういう思考に持っていけばいいかも分からない。試合が怖かった。今までこんなことなかった」
さらに状況を難しくさせたのが、同級生たちが一気に頭角を現わしたからだ。特に大きかったのが、藤田譲瑠チマ(現・横浜)の存在だ。2019年の秋に行なわれたU-17ワールドカップでブレイク。2種登録だった同年のリーグ終盤でデビューを飾り、昇格1年目の翌年からはボランチのレギュラーとして目覚ましい活躍を見せた。
同級生の中で常に先頭を走ってきた男にとって、初めて味わった“焦り”。自分がサブに回る試合も少なくなく、焦燥感に駆られた。そんな最中、21年9月に恩師が監督を辞任する。悔しさを噛み締め、恩返しができないまま別れを迎えた。
エリート街道を走ってきた山本にとって、プロに入ってからの2年半は苦難の連続。いかにして、失意のどん底から這い上がってきたのか。パリ五輪を目指す司令塔にとって再び大きな転機が訪れるが、今はまだ知る由もなかった。
※後編に続く。次回は5月3日に公開予定です。
取材・文●松尾祐希(サッカーライター)
【PHOTO】スタジアムを鮮やかに彩るガンバ大阪チアダンスチームを特集!
同級生の中で常に先頭を走ってきた男にとって、初めて味わった“焦り”。自分がサブに回る試合も少なくなく、焦燥感に駆られた。そんな最中、21年9月に恩師が監督を辞任する。悔しさを噛み締め、恩返しができないまま別れを迎えた。
エリート街道を走ってきた山本にとって、プロに入ってからの2年半は苦難の連続。いかにして、失意のどん底から這い上がってきたのか。パリ五輪を目指す司令塔にとって再び大きな転機が訪れるが、今はまだ知る由もなかった。
※後編に続く。次回は5月3日に公開予定です。
取材・文●松尾祐希(サッカーライター)
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