「サッカーの考え方をぶっ壊された」転機となった恩師との出会い、そして別れ。初めての挫折も「練習に行くのも嫌だった」【パリの灯は見えたか|vol.3 山本理仁】
カテゴリ:Jリーグ
2023年05月02日
中1でJFAエリートプログラムに
山本にとって、もう1つ大きかったのが、ヴェルディサッカースクールの相模原支部での体験だ。幼稚園の年長の頃から通い、必死にボールを追いかけていた。
どこか遠慮がちに「たぶん、一番上手かったのでスタッフに可愛がられた」と回想。「キープの練習で、デモンストレーションをする際に激しめに当たられるし、ミニゲームでも煽られて泣かされることもあった。終わったあとは悔しくて、半ばキレながら泣いて壁にボールを蹴っていましたね」。
厳しくされながらも、負けん気が強い山本はサッカーを辞めようとは一度も思わなかった。スクールでサッカーを学び、小学校4年生の時に大きな転機を迎える。Jの育成組織に加わる決断を下したのだ。受験したのは、長年お世話になっていた東京Vと川崎フロンターレ。後者は落ち、前者に合格した縁もあって“緑のユニホーム”に袖を通した。
「自分で意識した記憶はないけど、ヴェルディで身に付いたものか分からない。だけど、ヴェルディじゃなければ、今のプレースタイルにでき上がっていないです。フロンターレに入っていたら、また違う選手になっていたはずだし、ヴェルディのジュニアに入団したのは大きなターニングポイントになった」
技術を重視するヴェルディでサッカーに打ち込み、メキメキと頭角を現わしていく。ジュニアユースに移ると、中学1年生でJFAエリートプログラム(U-13の日本代表相当の選抜チーム)に名を連ね、中学2年生を迎える頃には、クラブでも中3の先輩たちに混じってプレー。翌年にはU-15日本代表に選出され、気がつけば同年代の選手たちを牽引する存在になっていた。
「自分の代に戻ると、やっぱり全然余裕が違った。プレースピードも上がって、頭の中で考えるスピードも格段に変わりましたよ」
どこか遠慮がちに「たぶん、一番上手かったのでスタッフに可愛がられた」と回想。「キープの練習で、デモンストレーションをする際に激しめに当たられるし、ミニゲームでも煽られて泣かされることもあった。終わったあとは悔しくて、半ばキレながら泣いて壁にボールを蹴っていましたね」。
厳しくされながらも、負けん気が強い山本はサッカーを辞めようとは一度も思わなかった。スクールでサッカーを学び、小学校4年生の時に大きな転機を迎える。Jの育成組織に加わる決断を下したのだ。受験したのは、長年お世話になっていた東京Vと川崎フロンターレ。後者は落ち、前者に合格した縁もあって“緑のユニホーム”に袖を通した。
「自分で意識した記憶はないけど、ヴェルディで身に付いたものか分からない。だけど、ヴェルディじゃなければ、今のプレースタイルにでき上がっていないです。フロンターレに入っていたら、また違う選手になっていたはずだし、ヴェルディのジュニアに入団したのは大きなターニングポイントになった」
技術を重視するヴェルディでサッカーに打ち込み、メキメキと頭角を現わしていく。ジュニアユースに移ると、中学1年生でJFAエリートプログラム(U-13の日本代表相当の選抜チーム)に名を連ね、中学2年生を迎える頃には、クラブでも中3の先輩たちに混じってプレー。翌年にはU-15日本代表に選出され、気がつけば同年代の選手たちを牽引する存在になっていた。
「自分の代に戻ると、やっぱり全然余裕が違った。プレースピードも上がって、頭の中で考えるスピードも格段に変わりましたよ」
そして、高校1年生となり、ジュニアユースからユースに上がると、人生を変える出会いがあった。クラブのレジェンドで、同年からユースの監督に就任した永井秀樹氏(現・ヴィッセル神戸スポーツダイレクター)だ。
前年に現役から退いた永井氏のもとで、徹底的に“サッカーのイロハ”を叩き込まれた。最初は何もかもが新しく、理解が追いつかずに苦しんだ。
「最初の頃、ワイドの選手はタッチラインを踏むぐらいずっと張っておけと言われ、自分の中ではあり得ないスタイルだった」。山本が今まで培ってきたサッカー感が通用せず、新たな価値観を養う作業は困難を極めたという。
「サッカーの考え方をぶっ壊された。ボールを持つことに対するこだわりは、今までにないもの。中3以前もボールを持てていたし、そういうスタイルに取り組んできた。でも、チームとしてもボールをどう支配するか。決まり事が多く、ゲームメイクするためのポジショニングを叩き込まれましたね」
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前年に現役から退いた永井氏のもとで、徹底的に“サッカーのイロハ”を叩き込まれた。最初は何もかもが新しく、理解が追いつかずに苦しんだ。
「最初の頃、ワイドの選手はタッチラインを踏むぐらいずっと張っておけと言われ、自分の中ではあり得ないスタイルだった」。山本が今まで培ってきたサッカー感が通用せず、新たな価値観を養う作業は困難を極めたという。
「サッカーの考え方をぶっ壊された。ボールを持つことに対するこだわりは、今までにないもの。中3以前もボールを持てていたし、そういうスタイルに取り組んできた。でも、チームとしてもボールをどう支配するか。決まり事が多く、ゲームメイクするためのポジショニングを叩き込まれましたね」
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