仲介人の選択を見誤ったのが最大のミステイクだ!

ユーベが好感触を得ていたドラクスラーは、急転直下ではヴォルフスブルクへ。そのディールに大きな影響を与えたのが、イタリア人の仲介人だった。(C)Getty Images

メルカート最終日の8月31日にインテルから獲得したエルナネス。ユーベにとっては妥協の選択肢だったのは間違いない。(C)Getty Images
ドラクスラーに話を戻すと、ユーベが交渉をまとめようと本格的に動き出したのは、ハムシク獲得の可能性が消えた8月末になってからだった。ファビオ・パラティチSDがお忍びでドイツに足を運んで、シャルケに大きく歩み寄る移籍金2300~2400万ユーロ+ボーナス500~600万ユーロという条件を提示した。
これに対してシャルケ側も、移籍金2750万ユーロ+ボーナス500万ユーロという水準まで要求を下げてきた。これによって一時はユーベ・サイドに、「移籍成立はほぼ間違いなし」という楽観的な空気が漂った。
ところが、まさにそのタイミングでヴォルフスブルクが、マンチェスター・シティに売却したばかりのケビン・デ・ブルイネの後釜としてドラクスラーを獲得すべく、ジャコモ・ペドラリートというイタリア人の仲介人を通して移籍金3600万ユーロ(ボーナス込み)という好条件を提示したのだ。
これを受けて態度を変えたシャルケはヴォルフスブルクとの交渉を優先して進め、そのまま移籍成立にこぎ着けたのである。
このペドラリートは、イタリアとドイツを結ぶ移籍交渉のエキスパート。過去にはクラース=ヤン・フンテラール(ミラン→シャルケ)、チーロ・インモービレ(トリノ→ドルトムント)を移籍させ、今夏は友好関係にあるヴォルフスブルクのクラウス・アロフスSDと連携して、イバン・ペリシッチのインテル移籍交渉にも同時進行で携わっていた。
もしユーベがドラクスラーの獲得交渉にペドラリートを使っていれば、話がまとまっていたかもしれない。今回ユーベが交渉を委ねたのは別の仲介人であり、ドラクスラーを土壇場で逃した裏には、自分を使わなかったペドラリートによる意趣返しという側面もあったと言えそうだ。
こうして、トップ下のターゲットを散々逃したユーベは、メルカート最終日にインテルからエルナネスを獲得。妥協の選択肢だったことは言うまでもないだろう。
文:ジャンルカ・ディ・マルツィオ
翻訳:片野道郎
※ワールドサッカーダイジェスト2015.10.01号より加筆・修正
【今だから言える15年夏の超極秘話①】ポグバ移籍は実現の可能性が十分にあった!
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【今だから言える15年夏の超極秘話③】ユーベがシケイラを捨ててA・サンドロを獲った舞台裏
【著者プロフィール】
Gianluca DI MARZIO / SKY ITALIA
ジャンルカ・ディ・マルツィオ
1974年3月28日、ナポリ近郊の町に生まれる。父は70~90年代にナポリ、ジェノア、レッチェなどで監督を歴任し、現在はTVコメンテーターのジャンニ・ディ・マルツィオ。選手としては才能に恵まれず、ジャーナリストを志し、パドバ大学在学中の94年に地元のTV局でキャリアをスタート。04年から『スカイ・イタリア』に所属する。父を通して得た人脈を活かしてカルチョの世界に広いネットワークを築き、移籍マーケットの専門記者という独自のフィールドを開拓。この分野ではイタリアの第一人者で、13年1月にグアルディオラのバイエルン入りをスクープしてからは、他の欧州諸国でも注目を集めている。
これに対してシャルケ側も、移籍金2750万ユーロ+ボーナス500万ユーロという水準まで要求を下げてきた。これによって一時はユーベ・サイドに、「移籍成立はほぼ間違いなし」という楽観的な空気が漂った。
ところが、まさにそのタイミングでヴォルフスブルクが、マンチェスター・シティに売却したばかりのケビン・デ・ブルイネの後釜としてドラクスラーを獲得すべく、ジャコモ・ペドラリートというイタリア人の仲介人を通して移籍金3600万ユーロ(ボーナス込み)という好条件を提示したのだ。
これを受けて態度を変えたシャルケはヴォルフスブルクとの交渉を優先して進め、そのまま移籍成立にこぎ着けたのである。
このペドラリートは、イタリアとドイツを結ぶ移籍交渉のエキスパート。過去にはクラース=ヤン・フンテラール(ミラン→シャルケ)、チーロ・インモービレ(トリノ→ドルトムント)を移籍させ、今夏は友好関係にあるヴォルフスブルクのクラウス・アロフスSDと連携して、イバン・ペリシッチのインテル移籍交渉にも同時進行で携わっていた。
もしユーベがドラクスラーの獲得交渉にペドラリートを使っていれば、話がまとまっていたかもしれない。今回ユーベが交渉を委ねたのは別の仲介人であり、ドラクスラーを土壇場で逃した裏には、自分を使わなかったペドラリートによる意趣返しという側面もあったと言えそうだ。
こうして、トップ下のターゲットを散々逃したユーベは、メルカート最終日にインテルからエルナネスを獲得。妥協の選択肢だったことは言うまでもないだろう。
文:ジャンルカ・ディ・マルツィオ
翻訳:片野道郎
※ワールドサッカーダイジェスト2015.10.01号より加筆・修正
【今だから言える15年夏の超極秘話①】ポグバ移籍は実現の可能性が十分にあった!
【今だから言える15年夏の超極秘話②】補強失敗を受けてモウリーニョとアブラモビッチの間にヒビが?
【今だから言える15年夏の超極秘話③】ユーベがシケイラを捨ててA・サンドロを獲った舞台裏
【著者プロフィール】
Gianluca DI MARZIO / SKY ITALIA
ジャンルカ・ディ・マルツィオ
1974年3月28日、ナポリ近郊の町に生まれる。父は70~90年代にナポリ、ジェノア、レッチェなどで監督を歴任し、現在はTVコメンテーターのジャンニ・ディ・マルツィオ。選手としては才能に恵まれず、ジャーナリストを志し、パドバ大学在学中の94年に地元のTV局でキャリアをスタート。04年から『スカイ・イタリア』に所属する。父を通して得た人脈を活かしてカルチョの世界に広いネットワークを築き、移籍マーケットの専門記者という独自のフィールドを開拓。この分野ではイタリアの第一人者で、13年1月にグアルディオラのバイエルン入りをスクープしてからは、他の欧州諸国でも注目を集めている。