「周りからは『なんで断って大学にきたの?』と不思議がられましたが…」
当然、大学進学の際にも不安はあったが、それ以上に「高校で声が掛かった選手が大学に行って掛からなくなったら、それまでの選手だということ」と覚悟は決まっていた。
「同級生や周りからは『なんで断って大学にきたの?』と不思議がられましたが、僕には早稲田大でしっかりと成長をして、プロからもう一度声の掛かる存在になろうという明確な目標があった。大学では全てが全員横一列からのスタートだとは思っていましたし、周りも絶対にプロになるという気持ちが強い選手がたくさんいるので、競争がまた始まるという意識でやりました」
「同級生や周りからは『なんで断って大学にきたの?』と不思議がられましたが、僕には早稲田大でしっかりと成長をして、プロからもう一度声の掛かる存在になろうという明確な目標があった。大学では全てが全員横一列からのスタートだとは思っていましたし、周りも絶対にプロになるという気持ちが強い選手がたくさんいるので、競争がまた始まるという意識でやりました」
スピード、パワー、サイズ、そして左足の精度を武器に1年時から出番を掴んだが、後期になるとパタっと出番がなくなった。それまでは高校での勢いそのままにやれていたが、自分が一気にトーンダウンしていくことに彼は焦りを感じていた。そこで彼が意識し始めたのが右足のキックの質の向上だった。
「昔からドリブルは両足のタッチを違和感なくできたのですが、キックになると左足ばかりに頼る自分がいました。大学経由でプロになるためには高校と武器が同じのままじゃいけないと思うようになり、右足のキックの強化に乗り出したんです」
練習でも自主トレでも右足のキックにこだわってトライし続けた。クロス、シュート、サイドチェンジなど本番をイメージしながら右足でボールを蹴り続けたことで、徐々にプレーの幅が広がっていく手応えを感じるようになった。
2年生になると両サイドをこなせるアタッカーとして重宝されるようになった。怪我に見舞われて長期離脱を経験。この時、市船の1学年下の後輩であるMF鈴木唯人(清水エスパルス)、DF畑大雅(湘南ベルマーレ)が高卒ルーキーとしてJ1リーグで躍動していたが、西堂に焦燥感はなかった。
「単純に凄いなと思っていましたが、そこで『俺も高卒プロに行っていたら、ああなっていたのにな』とかは1ミリも思いませんでした。なんでなんすかね(笑)。2人が活躍をし出した時に怪我をしましたが、大学での生活が割と充実していたので、そこはあまり思いませんでした。早稲田に身を置くことで成長できる確信もあったからだと思います」
「昔からドリブルは両足のタッチを違和感なくできたのですが、キックになると左足ばかりに頼る自分がいました。大学経由でプロになるためには高校と武器が同じのままじゃいけないと思うようになり、右足のキックの強化に乗り出したんです」
練習でも自主トレでも右足のキックにこだわってトライし続けた。クロス、シュート、サイドチェンジなど本番をイメージしながら右足でボールを蹴り続けたことで、徐々にプレーの幅が広がっていく手応えを感じるようになった。
2年生になると両サイドをこなせるアタッカーとして重宝されるようになった。怪我に見舞われて長期離脱を経験。この時、市船の1学年下の後輩であるMF鈴木唯人(清水エスパルス)、DF畑大雅(湘南ベルマーレ)が高卒ルーキーとしてJ1リーグで躍動していたが、西堂に焦燥感はなかった。
「単純に凄いなと思っていましたが、そこで『俺も高卒プロに行っていたら、ああなっていたのにな』とかは1ミリも思いませんでした。なんでなんすかね(笑)。2人が活躍をし出した時に怪我をしましたが、大学での生活が割と充実していたので、そこはあまり思いませんでした。早稲田に身を置くことで成長できる確信もあったからだと思います」