「33歳まで現役だったことに自分でもびっくり」
だがトップチームに定着したとはいえ、攻撃陣の中での序列は低いまま99年の初夏を迎えると、李国秀総監督の強い要望でヴェルディ川崎に期限付き移籍することになった。すぐに主力として重用され、第2ステージは出場停止の1試合を除き14試合に先発。ガンバ大阪戦とジュビロ磐田戦で決勝点を奪い、ジェフ市原戦とベルマーレ平塚戦では、いずれも桜井の同点弾から延長Vゴール勝ちを引き寄せている。
小学生の頃からドリブル好きで、中学も高校も自由にプレーさせてくれる環境にいた。「子どもの頃からドリブルを極めたくてテレビで見たワールドカップをはじめ、ドリブラーのビデオばかり集めては参考にしました」と振り返る。元ブラジル代表MFジュニーニョ・パウリスタや元アルゼンチン代表MFアリエル・オルテガが好みの選手だった。
ドリブルの楽しさについては「何と言ってもマーカーを抜いた時の快感ですね。あの感覚はシュートやパスよりも楽しくて仕方がない」と無邪気に語り掛ける。
V川崎に完全移籍した00年は、故障が長引いてリーグ無得点に終わったが、01年からの4シーズンは本来の力を発揮。東京Vでの最終04年は、全公式戦で初の二けたとなる10得点をマークした。
小学生の頃からドリブル好きで、中学も高校も自由にプレーさせてくれる環境にいた。「子どもの頃からドリブルを極めたくてテレビで見たワールドカップをはじめ、ドリブラーのビデオばかり集めては参考にしました」と振り返る。元ブラジル代表MFジュニーニョ・パウリスタや元アルゼンチン代表MFアリエル・オルテガが好みの選手だった。
ドリブルの楽しさについては「何と言ってもマーカーを抜いた時の快感ですね。あの感覚はシュートやパスよりも楽しくて仕方がない」と無邪気に語り掛ける。
V川崎に完全移籍した00年は、故障が長引いてリーグ無得点に終わったが、01年からの4シーズンは本来の力を発揮。東京Vでの最終04年は、全公式戦で初の二けたとなる10得点をマークした。
05年、J1に初昇格した大宮アルディージャに完全移籍。桜井は浦和とのダービーマッチになると、闘志がにじみ出た。「燃えましたよ。浦和は優勝候補という貫禄で、昇格したばかりの大宮を格下に見ていた感じでしたからね」と負けん気の強さを示し、「サテライトで一緒だった(鈴木)慎吾や(河合)竜二、本間(幸司)も浦和を出て活躍した」と気概のある後輩を引き合いに出した。
J1初対戦の05年第15節、桜井は前半22分にクリスティアンの横パスを受けて左足で決勝点。「恩返しというより反骨心。やってやったという気分でした」と現役時代2番目に嬉しかった一戦を懐かしんだ。この試合は桜井、GK荒谷弘樹、SB西村卓朗、MFトゥットが先発し、控えGK安藤智安を含めて5人が元浦和だった。敗れはしたが第28節でも前半7分、トゥットのスルーパスから守備陣の背後に抜け出し、豪快な同点弾を蹴り込んでいる。
2年目もリーグ21試合5得点、ナビスコカップと天皇杯で8試合出たが、3年目はV川崎時代に損傷した左ひざ半月板の痛みが再発し、08年をもって引退。J1通算186試合32得点という数字に「J1で15年もできたことに感謝したい。33歳まで現役だったことに自分でもびっくり、誇りに思います」と胸を張った。
J1初対戦の05年第15節、桜井は前半22分にクリスティアンの横パスを受けて左足で決勝点。「恩返しというより反骨心。やってやったという気分でした」と現役時代2番目に嬉しかった一戦を懐かしんだ。この試合は桜井、GK荒谷弘樹、SB西村卓朗、MFトゥットが先発し、控えGK安藤智安を含めて5人が元浦和だった。敗れはしたが第28節でも前半7分、トゥットのスルーパスから守備陣の背後に抜け出し、豪快な同点弾を蹴り込んでいる。
2年目もリーグ21試合5得点、ナビスコカップと天皇杯で8試合出たが、3年目はV川崎時代に損傷した左ひざ半月板の痛みが再発し、08年をもって引退。J1通算186試合32得点という数字に「J1で15年もできたことに感謝したい。33歳まで現役だったことに自分でもびっくり、誇りに思います」と胸を張った。