大会を通じて感謝の想いしかない
残念だったのは、10番のライネスが負傷交代した直後のプレーで3失点目を喫してしまったこと。一番気を付けなくてはいけないタイミングで、再びセットプレーからネットを揺らされてしまった。
ただ、その4分後に出場した三笘と上田は改めて奮闘した。これまで持ち味を出せていなかった三笘は、Jリーグで見せているキレのあるドリブルでメキシコDFを手玉に取り、前述したようにゴールも決めている。上田もGKオチョアに阻まれたものの、三笘との連係でチャンスを作った。ふたりからは「やってやろう」という気概を感じた。
それでも最終的なスコアは1-3。メダルにあと一歩のところで届かなったのは本当に残念だ。
6試合を通じて見えたのは、オーバーエイジの吉田、酒井、遠藤を含めて、守備が安定していたこと。一方で、攻撃面のクオリティに課題を残した。メキシコ戦で見えたように、試合運びも向上の余地があるように感じる。
またメキシコとのリターンマッチで、相手が変えてきた部分があったなかで、それでも自分たちのリズムに引き込む力も今後必要になるだろう。
そうした収穫と課題はいくつもあって、それを分析し、日本サッカーの進化へ還元することがなにより大切だ。積み重ねこそがサッカーの成熟へとつながる。それを繰り返していくことが重要だと思う。
ただ、その4分後に出場した三笘と上田は改めて奮闘した。これまで持ち味を出せていなかった三笘は、Jリーグで見せているキレのあるドリブルでメキシコDFを手玉に取り、前述したようにゴールも決めている。上田もGKオチョアに阻まれたものの、三笘との連係でチャンスを作った。ふたりからは「やってやろう」という気概を感じた。
それでも最終的なスコアは1-3。メダルにあと一歩のところで届かなったのは本当に残念だ。
6試合を通じて見えたのは、オーバーエイジの吉田、酒井、遠藤を含めて、守備が安定していたこと。一方で、攻撃面のクオリティに課題を残した。メキシコ戦で見えたように、試合運びも向上の余地があるように感じる。
またメキシコとのリターンマッチで、相手が変えてきた部分があったなかで、それでも自分たちのリズムに引き込む力も今後必要になるだろう。
そうした収穫と課題はいくつもあって、それを分析し、日本サッカーの進化へ還元することがなにより大切だ。積み重ねこそがサッカーの成熟へとつながる。それを繰り返していくことが重要だと思う。
もっとも大会を通じての感想は「今持っている力をすべて出してよく戦ってくれた」ということで、酷暑のなか、中2日で試合に臨んだ、選手、そしてスタッフへ、感謝の想いしかない。メダルへ挑戦した姿は目に焼き付き、心に刻まれている。多くの方もそうではないだろうか。
悔しい想いは次へのスタート。その気持ちが必ず、新たなステージへつながる。東京五輪での成果、経験は必ず日本サッカーのなかで生きるはずだ。
■プロフィール
関塚 隆(せきづか・たかし)/1960年10月26日生まれ、千葉県出身。現役時代は八千代高から早稲田大へ進学し、本田技研で活躍。91年に現役を引退し指導者に転身。母校の早大ア式蹴球部監督を経て、鹿島、清水のコーチを歴任し、2004年に川崎の監督に就任。10年からはU-23日本代表監督として指揮を執り、ロンドン五輪を経験。44年ぶりのベスト4へ導く。大会後、磐田、千葉で指揮を執り、18年に再び日本サッカー協会に入り、技術委員長やナショナルチームダイレクターを歴任した。
構成●サッカーダイジェスト編集部
【五輪代表PHOTO】U-24日本1-3U-24メキシコ|三笘が反撃の1点を返すも追加点が遠くメキシコに敗戦 53年ぶりのメダル獲得とはならず...
悔しい想いは次へのスタート。その気持ちが必ず、新たなステージへつながる。東京五輪での成果、経験は必ず日本サッカーのなかで生きるはずだ。
■プロフィール
関塚 隆(せきづか・たかし)/1960年10月26日生まれ、千葉県出身。現役時代は八千代高から早稲田大へ進学し、本田技研で活躍。91年に現役を引退し指導者に転身。母校の早大ア式蹴球部監督を経て、鹿島、清水のコーチを歴任し、2004年に川崎の監督に就任。10年からはU-23日本代表監督として指揮を執り、ロンドン五輪を経験。44年ぶりのベスト4へ導く。大会後、磐田、千葉で指揮を執り、18年に再び日本サッカー協会に入り、技術委員長やナショナルチームダイレクターを歴任した。
構成●サッカーダイジェスト編集部
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