高3で福岡のレギュラーポジションを獲得。当時の井原監督の言葉に大きな影響を受ける
あの忘れられない光景から彼の進化は一気に加速した。帰国後、明らかに顔つきが変わり、失点に対する意識、責任感は比べ物にならないほど増したように感じた。
「CBにとって一瞬の躊躇や細かい判断のミスが重大な結果につながる。これを嫌というほど経験したからこそ、なぜそうなってしまったのか、なぜ自分がこう判断をしたのかをより考えるようになりました」
常に起こった事象に対して、ベクトルを自分に向けて冷静に考え、次に生かす。このルーティーンが彼をよりDFとしてスケールアップさせていった。
また、その冨安の成長をさらに促す出会いもあった。それはその翌年に高3ながらU-19日本代表の守備の要となり、アビスパ福岡でもトップチームでレギュラーを勝ち取った時だ。
「CBにとって一瞬の躊躇や細かい判断のミスが重大な結果につながる。これを嫌というほど経験したからこそ、なぜそうなってしまったのか、なぜ自分がこう判断をしたのかをより考えるようになりました」
常に起こった事象に対して、ベクトルを自分に向けて冷静に考え、次に生かす。このルーティーンが彼をよりDFとしてスケールアップさせていった。
また、その冨安の成長をさらに促す出会いもあった。それはその翌年に高3ながらU-19日本代表の守備の要となり、アビスパ福岡でもトップチームでレギュラーを勝ち取った時だ。
ボランチとCBの2つのポジションで躍動していた冨安にとって、当時の井原正巳監督の存在が非常に大きかったのだ。日本代表キャップは122を数え、1998年のフランスW杯に出場するなど、『アジアの壁』という異名を持つ偉大なCBだった指揮官。そんな人物から生きたアドバイスをもらえたことも、10代にしてプロとして必要な成長のルーティーンを確立していた冨安には、大きなプラスだった。
「井原監督は特に細かいことを言う人ではないのですが、常に言われているのが、『相手によって対応を変えることが大事だ』ということです。例えばウェリントンのように身体の強い選手もいれば、金森(健志)さんなどスピードがある選手などへの対応の仕方を変えろと言われました。あと一番強調されるのが、気持ちの部分。気持ちで負けたら、何も始まらないと教わりました。井原監督の言葉は凄く説得力が有るし、一つひとつが重い。実際に試合を重ねることで、その言葉の一つひとつの意味を感じられました。周りの選手たちからも生きたアドバイスをたくさんもらえますし、毎日、すごく成長を実感できています」
ここから先の過程はもう説明不要だろう。今や冨安は日本を代表する選手にまで成長を遂げ、さらにその未来は大きな広がりを見せている。
「井原監督は特に細かいことを言う人ではないのですが、常に言われているのが、『相手によって対応を変えることが大事だ』ということです。例えばウェリントンのように身体の強い選手もいれば、金森(健志)さんなどスピードがある選手などへの対応の仕方を変えろと言われました。あと一番強調されるのが、気持ちの部分。気持ちで負けたら、何も始まらないと教わりました。井原監督の言葉は凄く説得力が有るし、一つひとつが重い。実際に試合を重ねることで、その言葉の一つひとつの意味を感じられました。周りの選手たちからも生きたアドバイスをたくさんもらえますし、毎日、すごく成長を実感できています」
ここから先の過程はもう説明不要だろう。今や冨安は日本を代表する選手にまで成長を遂げ、さらにその未来は大きな広がりを見せている。