監督やスタッフにとって、ここからがまた大変な作業になる
ただし、22分頃に相手左サイドバックの4番(ベル)からのロングパスを入れられたようなシーンは今後も警戒が必要だ。
日本の中盤はコンパクトだから細かい連係に対しては簡単には崩れない。しかし強豪国は陣形を広げてきたり、大きなサイドチェンジでスペースを突いてきたりする。そういった幅を使った攻撃は、U-24ガーナ代表とジャマイカ代表はしてこなかったが、3月に対戦したアルゼンチンのように局面でゴリゴリと力で押してくるチームもある。そうしたパワープレーに対して、個人としてもグループとしても準備しておく必要があるだろう。
一方で60分からは3バックにシステムを変え、オプションとしての攻守の動きを共有する時間を作れた意味でも、有意義な試合となっただろう。
さて、監督やスタッフにとっては、ここからがまた大変な作業になる。18人のメンバーと4人のサポートメンバーを絞り込まなければいけないからだ。18人を選ぶというのは非常に難しく、骨の折れる仕事だ。12年のロンドン五輪の時もスタッフで何度もミーティングを繰り返して決めた記憶がある。
日本の中盤はコンパクトだから細かい連係に対しては簡単には崩れない。しかし強豪国は陣形を広げてきたり、大きなサイドチェンジでスペースを突いてきたりする。そういった幅を使った攻撃は、U-24ガーナ代表とジャマイカ代表はしてこなかったが、3月に対戦したアルゼンチンのように局面でゴリゴリと力で押してくるチームもある。そうしたパワープレーに対して、個人としてもグループとしても準備しておく必要があるだろう。
一方で60分からは3バックにシステムを変え、オプションとしての攻守の動きを共有する時間を作れた意味でも、有意義な試合となっただろう。
さて、監督やスタッフにとっては、ここからがまた大変な作業になる。18人のメンバーと4人のサポートメンバーを絞り込まなければいけないからだ。18人を選ぶというのは非常に難しく、骨の折れる仕事だ。12年のロンドン五輪の時もスタッフで何度もミーティングを繰り返して決めた記憶がある。
そしてメンバーが固まってからは、今度は五輪という短期決戦に向けて、ひとつのチームにならなければいけない。選考前はある意味ライバル同士でもあったこれまでとは変わり、選手やスタッフ個々がチーム内での役割を理解し、「ワンチーム」になることだ。
そのためにも選手たちのコンディションを合わせるのは重要なポイントになる。海外では6月末から新シーズンに向けて始動するクラブもあるだろう。そうしたクラブとは事前に連係を取っておかなければいけない。
ロンドン五輪の時には宇佐美と酒井高徳が7月の日本国内での壮行試合に参加できず、ふたりが合流できたのはロンドンに渡ってからだった。今回で言えば、ACLに参加するフロンターレ、ガンバ、グランパス、セレッソの4チームに在籍する選手は直前合宿への参加が遅れる見込みだ。
合流時期のズレや疲労感の違いなどで、個々の調整やチームとしての仕上がりに影響しかねない。もちろん怪我などのアクシデントも含め、不測の事態を想定しながら準備を進めてほしい。
■プロフィール
関塚 隆(せきづか・たかし)/1960年10月26日生まれ、千葉県出身。現役時代は八千代高から早稲田大へ進学し、本田技研で活躍。91年に現役を引退し指導者に転身。母校の早大ア式蹴球部監督を経て、鹿島、清水のコーチを歴任し、2004年に川崎の監督に就任。10年からはU-23日本代表監督として指揮を執り、ロンドン五輪を経験。44年ぶりのベスト4へ導く。大会後、磐田、千葉で指揮を執り、18年に再び日本サッカー協会に入り、技術委員長やナショナルチームダイレクターを歴任した。
構成●サッカーダイジェスト編集部
【PHOTO】U-24日本4-0ジャマイカ|五輪メンバー発表前最後の試合は遠藤航、久保らのゴールでジャマイカを相手に4発快勝!
そのためにも選手たちのコンディションを合わせるのは重要なポイントになる。海外では6月末から新シーズンに向けて始動するクラブもあるだろう。そうしたクラブとは事前に連係を取っておかなければいけない。
ロンドン五輪の時には宇佐美と酒井高徳が7月の日本国内での壮行試合に参加できず、ふたりが合流できたのはロンドンに渡ってからだった。今回で言えば、ACLに参加するフロンターレ、ガンバ、グランパス、セレッソの4チームに在籍する選手は直前合宿への参加が遅れる見込みだ。
合流時期のズレや疲労感の違いなどで、個々の調整やチームとしての仕上がりに影響しかねない。もちろん怪我などのアクシデントも含め、不測の事態を想定しながら準備を進めてほしい。
■プロフィール
関塚 隆(せきづか・たかし)/1960年10月26日生まれ、千葉県出身。現役時代は八千代高から早稲田大へ進学し、本田技研で活躍。91年に現役を引退し指導者に転身。母校の早大ア式蹴球部監督を経て、鹿島、清水のコーチを歴任し、2004年に川崎の監督に就任。10年からはU-23日本代表監督として指揮を執り、ロンドン五輪を経験。44年ぶりのベスト4へ導く。大会後、磐田、千葉で指揮を執り、18年に再び日本サッカー協会に入り、技術委員長やナショナルチームダイレクターを歴任した。
構成●サッカーダイジェスト編集部
【PHOTO】U-24日本4-0ジャマイカ|五輪メンバー発表前最後の試合は遠藤航、久保らのゴールでジャマイカを相手に4発快勝!