天才の大敵は故障と自己管理。マラドーナは薬物に手を出し…
天才という響きは、短命=儚さを想起させる。しかし世界的に天才の夭逝は、事故や薬物などの影響を受けたロック・ミュージシャンを初めとする芸術畑に多く、日本では不治の病とともに減少傾向にある。
サッカー界で周知の天才の早逝となると、直近でも1958年のマンチェスター・ユナイテッドの航空機事故まで遡る。当時、イングランド随一の有望株だったダンカン・エドワーズも、生きていればもう84歳だ。
一方で生命そのものではなく現役生活に視点を変えても、儚くて惜しまれた天才の引退例は、それほど脳裏から浮かび上がっては来ない。最も惜しまれたのは、バロンドールを3度獲得したマルコ・ファン・バステンの29歳での引退で、ラストゲームがチャンピオンズカップ(現行のチャンピオンズ・リーグ)決勝だったという事実が悲哀を帯びている。偉大なストライカーは、度重なるファウルの餌食となりついにヒザが悲鳴を挙げた。
こうしてファン・バステンやディエゴ・マラドーナら非凡な才が悪質なファウルに痛めつけられる状況を背景に「フェアプレー・プリーズ」を謳い文句とした90年イタリア・ワールドカップでは、カードが急増するのだった。
天才の大敵は故障と自己管理だ。どうしてもスタンドを魅了する芸術家は、対戦相手の最大の標的になる。また遊びの中で育って来た奔放な天才たちは、生活の急変にコントロール不能に陥りがちだ。
ワールドカップを2度制した天才肌のドリブラーだったガリンシャは、アルコール依存症から身体を壊し49歳で早逝。2002年日韓ワールドカップで得点王に輝いたロナウドも、故障が相次ぎ三十路を前に肉がつき始めた。そしてマラドーナが薬物に手を出すようになったことも周知の事実だ。
サッカー界で周知の天才の早逝となると、直近でも1958年のマンチェスター・ユナイテッドの航空機事故まで遡る。当時、イングランド随一の有望株だったダンカン・エドワーズも、生きていればもう84歳だ。
一方で生命そのものではなく現役生活に視点を変えても、儚くて惜しまれた天才の引退例は、それほど脳裏から浮かび上がっては来ない。最も惜しまれたのは、バロンドールを3度獲得したマルコ・ファン・バステンの29歳での引退で、ラストゲームがチャンピオンズカップ(現行のチャンピオンズ・リーグ)決勝だったという事実が悲哀を帯びている。偉大なストライカーは、度重なるファウルの餌食となりついにヒザが悲鳴を挙げた。
こうしてファン・バステンやディエゴ・マラドーナら非凡な才が悪質なファウルに痛めつけられる状況を背景に「フェアプレー・プリーズ」を謳い文句とした90年イタリア・ワールドカップでは、カードが急増するのだった。
天才の大敵は故障と自己管理だ。どうしてもスタンドを魅了する芸術家は、対戦相手の最大の標的になる。また遊びの中で育って来た奔放な天才たちは、生活の急変にコントロール不能に陥りがちだ。
ワールドカップを2度制した天才肌のドリブラーだったガリンシャは、アルコール依存症から身体を壊し49歳で早逝。2002年日韓ワールドカップで得点王に輝いたロナウドも、故障が相次ぎ三十路を前に肉がつき始めた。そしてマラドーナが薬物に手を出すようになったことも周知の事実だ。
だがむしろ後から惜しまれる才能の大半は、なんらかの原因で世に出る前に消えている。天才の代表格とも言えるジーコが語っていたそうである。
「私より才能のある選手はいくらでもいた。しかし私のようにサッカーを最優先に考えて生活を送れる選手はいなかった」