アレイニコフなんでもできる。本当に凄い(礒貝)
礒貝 でも、そんな選手たちもみんな古沼(貞雄)監督に従順なわけで(笑)。先生のカリスマ性なしでは帝京のレジェンドを語れない。
松波 そうですね。実際に僕も古沼監督という偉大な先生の指導を仰ぐのはすごく憧れていましたし。
――選手ではありませんが、ある意味「帝京史上最高のレジェンド」は古沼監督と言えるかもしれませんね。
礒貝 それはもちろんそうですよ。
松波 間違いないです。
礒貝 ひと言で言うなら、“お父さん”みたいな存在。だから有望な選手が集まったんだと思う。
松波 そうですね。それに古沼監督が務めていた当時のほうが、今よりも選手を集めるのは大変だったと思います。そのなかで帝京の歴史を築き上げ、自然と子どもが憧れるチームを作り、そしてまた有望な選手が入ってくる。そういうサイクルを生み出したのは凄いです。
――それでは本題に入ります。ガンバのレジェンドは誰でしょう? おふたりはJリーグ開幕初期のメンバーなので、先ほどの帝京の話のように「憧れた先輩」という視点から変える必要があります。国語辞典によるとレジェンドの意味は伝説的人物。なので、おふたりが一緒にプレーして感じた「語り伝えるべき凄い選手」を聞かせてほしいです。
礒貝 それならアレイニコフ。ね?
松波 はい、同感です。
礒貝 なんでもできるんだもん。本当に凄いよ。まさにレジェンド。
松波 一緒にプレーしてみないと本当の凄みは分からないですよね。
礒貝 そうだね。
松波 バリバリのソ連(ソビエト連邦)代表でしたから。
礒貝 そうそう。さすが、(89-90シーズンに)ユベントスでプレーしていただけある。なんでも上手い。
松波 技術が高いんですよね。ほとんどミスしないし、サッカーをよく知っている。ただ、100パーセントでやっていなかったと思いませんか?
礒貝 確かに、たぶんそうだと思う。
松波 そうですね。実際に僕も古沼監督という偉大な先生の指導を仰ぐのはすごく憧れていましたし。
――選手ではありませんが、ある意味「帝京史上最高のレジェンド」は古沼監督と言えるかもしれませんね。
礒貝 それはもちろんそうですよ。
松波 間違いないです。
礒貝 ひと言で言うなら、“お父さん”みたいな存在。だから有望な選手が集まったんだと思う。
松波 そうですね。それに古沼監督が務めていた当時のほうが、今よりも選手を集めるのは大変だったと思います。そのなかで帝京の歴史を築き上げ、自然と子どもが憧れるチームを作り、そしてまた有望な選手が入ってくる。そういうサイクルを生み出したのは凄いです。
――それでは本題に入ります。ガンバのレジェンドは誰でしょう? おふたりはJリーグ開幕初期のメンバーなので、先ほどの帝京の話のように「憧れた先輩」という視点から変える必要があります。国語辞典によるとレジェンドの意味は伝説的人物。なので、おふたりが一緒にプレーして感じた「語り伝えるべき凄い選手」を聞かせてほしいです。
礒貝 それならアレイニコフ。ね?
松波 はい、同感です。
礒貝 なんでもできるんだもん。本当に凄いよ。まさにレジェンド。
松波 一緒にプレーしてみないと本当の凄みは分からないですよね。
礒貝 そうだね。
松波 バリバリのソ連(ソビエト連邦)代表でしたから。
礒貝 そうそう。さすが、(89-90シーズンに)ユベントスでプレーしていただけある。なんでも上手い。
松波 技術が高いんですよね。ほとんどミスしないし、サッカーをよく知っている。ただ、100パーセントでやっていなかったと思いませんか?
礒貝 確かに、たぶんそうだと思う。
松波 本気じゃないのは礒貝さんもですけどね?(笑)。
礒貝 俺は400パーセントでやっていました(笑)。
松波 いやいや、礒貝さんが400パーセントの力を出していたら、とんでもないことになっていましたよ(笑)。
礒貝 いやいやいや(照れ笑い)。
――アレイニコフ選手はどんなパーソナリティを持っていましたか?
礒貝 (笑って冗談交じりに)俺は性格が合わなかった。
松波 ハハハ(笑)。僕もなんとも言えないですね。当時の僕はまだ10代で若手だったので、あんまり喋らなければ、一緒にいる時間もほぼなかったです。ただ、アレイニコフから何かを吸収したい、彼に認めてもらいたいとは思っていました。
礒貝 俺は400パーセントでやっていました(笑)。
松波 いやいや、礒貝さんが400パーセントの力を出していたら、とんでもないことになっていましたよ(笑)。
礒貝 いやいやいや(照れ笑い)。
――アレイニコフ選手はどんなパーソナリティを持っていましたか?
礒貝 (笑って冗談交じりに)俺は性格が合わなかった。
松波 ハハハ(笑)。僕もなんとも言えないですね。当時の僕はまだ10代で若手だったので、あんまり喋らなければ、一緒にいる時間もほぼなかったです。ただ、アレイニコフから何かを吸収したい、彼に認めてもらいたいとは思っていました。