「リバプールに戻らないと決まったわけではない」
付け加えるならば、チームの攻撃は、ジェームズ・ウォード=プラウズに大きく依存しており、そこを潰されると沈黙しがちだ。だが、南野がフィットすれば、このイングランド代表MFの負担を減らすことができるだろう。
南野自身は、リバプールを離れることに少なからず失望しているかもしれない。ただ、彼は環境を変える必要があった。そして、一時の失望を上回る喜びを、ピッチに戻ることで感じられるはずだ。もちろん、リバプールに戻らないと決まったわけでもない。
南野自身は、リバプールを離れることに少なからず失望しているかもしれない。ただ、彼は環境を変える必要があった。そして、一時の失望を上回る喜びを、ピッチに戻ることで感じられるはずだ。もちろん、リバプールに戻らないと決まったわけでもない。
心強いことに、もし彼がサウサンプトンで何かアドバイスや手助けが必要ならば、日本代表の同僚であり先輩の吉田麻也も、サポートしてくれるだろう。
この移籍は、南野、リバプール、そしてサウサンプトンの三者にとって良い選択だった。良いことづくめだ。必ず成功すると、私は確信している。
文●スティーブ・マッケンジー(サッカーダイジェスト・ヨーロッパ)
スティーブ・マッケンジー (STEVE MACKENZIE)
profile/1968年6月7日にロンドン生まれ。ウェストハムとサウサンプトンのユースでのプレー経験があり、とりわけウェストハムへの思い入れが強く、ユース時代からサポーターになった。また、スコットランド代表のファンでもある。大学時代はサッカーの奨学生として米国の大学で学び、1989年のNCAA(全米大学体育協会)主催の大会で優勝に輝く。
この移籍は、南野、リバプール、そしてサウサンプトンの三者にとって良い選択だった。良いことづくめだ。必ず成功すると、私は確信している。
文●スティーブ・マッケンジー(サッカーダイジェスト・ヨーロッパ)
スティーブ・マッケンジー (STEVE MACKENZIE)
profile/1968年6月7日にロンドン生まれ。ウェストハムとサウサンプトンのユースでのプレー経験があり、とりわけウェストハムへの思い入れが強く、ユース時代からサポーターになった。また、スコットランド代表のファンでもある。大学時代はサッカーの奨学生として米国の大学で学び、1989年のNCAA(全米大学体育協会)主催の大会で優勝に輝く。