多くの人から別れを偲ぶ声が寄せられた

昨季、18年間の現役生活を終え、現在は大宮の地域プロデュース部コーチを務める金澤慎氏。写真:松澤明美

埼玉の名門・武南高校出身で大宮の育成部ヘッドオブスカウトを務める斉藤雅人氏。写真:松澤明美
松沢氏は大宮の後援会も発足して初代理事長に就いた。現理事長の染谷伊久夫氏は松沢氏が社会人サッカーチームでプレーしていたころからの仲。ライバルチームの選手として出会い、約45年に渡る付き合いだった。大宮青年会議所メンバーの染谷氏は松沢氏と並走するように大宮をサポートし、「松沢さんはサッカーと大宮が大好きな人」と偲んだ。
埼玉県サッカー協会会長で前大宮社長の鈴木茂氏は、松沢氏と「よく意見を交わし合った」と懐かしむ。“地域密着”について多く議論し、「地元を盛り立てようと意欲があった」と言う。松沢氏はNTT社員向けサッカー大会の審判派遣でも力を貸すなどし、さいたまサッカー界の重鎮の早すぎる旅立ちに「大きな損失」と寂しがった。
大宮公式ホームページには森正志社長の追悼の意を掲載。新型コロナウイルスの影響による約4カ月の中断期間を踏まえ、「当然のように過ごしていた日常は、松沢氏の熱い思いによって築かれたものです。同氏の多大なる功績にあらためて敬意を表すると同時に、必ずや皆さまとともにJ1昇格を果たしたいと強く願います」などコメントした。
埼玉県サッカー協会会長で前大宮社長の鈴木茂氏は、松沢氏と「よく意見を交わし合った」と懐かしむ。“地域密着”について多く議論し、「地元を盛り立てようと意欲があった」と言う。松沢氏はNTT社員向けサッカー大会の審判派遣でも力を貸すなどし、さいたまサッカー界の重鎮の早すぎる旅立ちに「大きな損失」と寂しがった。
大宮公式ホームページには森正志社長の追悼の意を掲載。新型コロナウイルスの影響による約4カ月の中断期間を踏まえ、「当然のように過ごしていた日常は、松沢氏の熱い思いによって築かれたものです。同氏の多大なる功績にあらためて敬意を表すると同時に、必ずや皆さまとともにJ1昇格を果たしたいと強く願います」などコメントした。
試合告知のチラシ配りを手伝う地道な取り組みも続けた松沢氏。大宮への深き思いは次世代に受け継がれていく。
OB会長でもある斉藤氏は葬儀にOB会で供花を贈り、「松沢さんの思いや行動がなければ、このクラブは存在しなかったかもしれない」と感謝。「原点、出発点の方の思いを僕らは幸いにして身近に感じられた。これからは(その思いを)知らない選手が増えてくると思う。僕らが語り、つないでいく使命がある」と継承を誓う。
金沢氏は「地元の方に応援していただいて、育った街のプロ選手としてプレーできたことは誇り」と感慨に浸る。自身のような選手を「僕の経験を通して、さいたま市、特に大宮地区から輩出したい」と意気込む。「そういう選手が出ることによって子どもたちに夢を与え、大宮を愛し、応援してくれる方々ももっと増える」と青写真を描いた。
松沢氏が切り開いた、未来へと続く希望の道。刻んだ歴史の数々は決して色あせることはなく、大宮を愛する者たちの手でさらなる広がりを見せてくれるだろう。空の上で、ずっとずっと、見守っていてほしい。
取材・文●松澤明美(フリーライター)