“勘違いのドーピング”を打ち続けていた
ある日の休み時間、リフティングの記録更新にチャレンジ。授業開始のチャイムが鳴り、呼びに来た先生に向かって、玉乃少年は毅然として答えた。
「先生、僕今、新記録に挑戦しているんで、邪魔しないでください!」
寝ても覚めても、サッカー一色の少年時代。「絵を描くのが好きで好きでたまらなくて、ずっと絵を書いていて、将来漫画家になった、みたいな。だから、自分は生まれつき才能があったわけじゃないと思います。実は、誰よりも練習していたっていう。もう、好きの極みですよ」と明かす。
ヴェルディのジュニアユースに昇格しても、サッカー漬けの毎日は変わらなかった。
「チームメイトはみんな上手いし、本当に楽しかった。練習もたぶん、ほとんど休まなかったはず。雨の日でも雪の日でも、なにがなんでも練習に行きたかった」
実力者たちが集まる集団の中でも、玉乃の存在は際立っていた。「自分ひとりだけ、こんなに点を取っていいのかと思うぐらい。途中から、味方にも点を取らせたほうがいいかな、とか、ちょっと遠慮するようになった」というほどだった。
まさに無双状態。誰かをお手本にした覚えもない。「だって、世界で一番、自分が上手いと思っていましたから」。その実力は海外クラブの目にも留まり、先述したように15歳でA・マドリーから声がかかり、スペインに渡ることになる。
欧州の強豪クラブのユースチームでも、当初は「圧倒的だった」と自身の立ち位置を振り返る。だが、徐々に歯車が狂い始める。
「しばらくして、フィジカル面の壁にぶち当たって。90分間、持たなくて足がつったり、スピードで抜けないとか、倒されて怪我をしたりとか。なにかがおかしい、と」
「先生、僕今、新記録に挑戦しているんで、邪魔しないでください!」
寝ても覚めても、サッカー一色の少年時代。「絵を描くのが好きで好きでたまらなくて、ずっと絵を書いていて、将来漫画家になった、みたいな。だから、自分は生まれつき才能があったわけじゃないと思います。実は、誰よりも練習していたっていう。もう、好きの極みですよ」と明かす。
ヴェルディのジュニアユースに昇格しても、サッカー漬けの毎日は変わらなかった。
「チームメイトはみんな上手いし、本当に楽しかった。練習もたぶん、ほとんど休まなかったはず。雨の日でも雪の日でも、なにがなんでも練習に行きたかった」
実力者たちが集まる集団の中でも、玉乃の存在は際立っていた。「自分ひとりだけ、こんなに点を取っていいのかと思うぐらい。途中から、味方にも点を取らせたほうがいいかな、とか、ちょっと遠慮するようになった」というほどだった。
まさに無双状態。誰かをお手本にした覚えもない。「だって、世界で一番、自分が上手いと思っていましたから」。その実力は海外クラブの目にも留まり、先述したように15歳でA・マドリーから声がかかり、スペインに渡ることになる。
欧州の強豪クラブのユースチームでも、当初は「圧倒的だった」と自身の立ち位置を振り返る。だが、徐々に歯車が狂い始める。
「しばらくして、フィジカル面の壁にぶち当たって。90分間、持たなくて足がつったり、スピードで抜けないとか、倒されて怪我をしたりとか。なにかがおかしい、と」
日本に戻って、東京Vでトップ昇格した後も、状況は変わらなかった。かつてのように思い通りにプレーできない。頭の中で思い描くイメージに、身体がついてこない。
イライラして、周囲の人間に当たり散らした。自分のミスは誰かのせいにした。目に見える結果を示せていないのに、傲慢に振る舞った。
「そんなはずはない、そんなはずはないって、何度も自分に言い聞かせていましたね。できない自分を認めたくなくて、本当はできるんだと、“勘違いのドーピング”を打ち続けていました」
俺はできるんだ、俺は上手いんだと、虚勢を張り続けた。それが無意味なことだと分かっていても。「そうでもしないと、崩れ落ちてしまうから。プレーできなくなっちゃうと思ったから」だ。
恐ろしく生意気だったと、今でも思う。「自分だったら、一生口をききたくない」と言うほど、嫌なやつだったようだが、そんな玉乃を先輩たちは温かく見守った。
「殴られたこともありましたけど、でもみんな本当に優しくて。あんなクソ生意気な態度だったらボコボコにされてもおかしくないのに、ヤマタクさん(山田卓也)、米山(篤志)さん、林(健太郎)君、アツさん(三浦淳寛)……なんだかんだで、皆、可愛がってくれました。先輩たちには一生頭が上がりません」
恵まれた環境の中でサッカーを続けられたが、実際のプレーは改善の兆しが見えなかった。移籍を繰り返しながら、相変わらず“勘違いのドーピング”を打ち続けて、なんとかピッチに立っていたが、「苦しかった。サッカーなんて、全然好きじゃなかった」。
イライラして、周囲の人間に当たり散らした。自分のミスは誰かのせいにした。目に見える結果を示せていないのに、傲慢に振る舞った。
「そんなはずはない、そんなはずはないって、何度も自分に言い聞かせていましたね。できない自分を認めたくなくて、本当はできるんだと、“勘違いのドーピング”を打ち続けていました」
俺はできるんだ、俺は上手いんだと、虚勢を張り続けた。それが無意味なことだと分かっていても。「そうでもしないと、崩れ落ちてしまうから。プレーできなくなっちゃうと思ったから」だ。
恐ろしく生意気だったと、今でも思う。「自分だったら、一生口をききたくない」と言うほど、嫌なやつだったようだが、そんな玉乃を先輩たちは温かく見守った。
「殴られたこともありましたけど、でもみんな本当に優しくて。あんなクソ生意気な態度だったらボコボコにされてもおかしくないのに、ヤマタクさん(山田卓也)、米山(篤志)さん、林(健太郎)君、アツさん(三浦淳寛)……なんだかんだで、皆、可愛がってくれました。先輩たちには一生頭が上がりません」
恵まれた環境の中でサッカーを続けられたが、実際のプレーは改善の兆しが見えなかった。移籍を繰り返しながら、相変わらず“勘違いのドーピング”を打ち続けて、なんとかピッチに立っていたが、「苦しかった。サッカーなんて、全然好きじゃなかった」。