キャリアではなく、資質を重視した選考を。
その一方で守備面はイノセントで、簡単に相手にスペースを与えることがあった。正直、CBはあらゆる面で世界の一流FWの前では後手に回り、「ブラジル・ワールドカップをこのまま戦うのは厳しい」と危惧していた。案の定、本番では前がかりになった状況で綻びが出てしまった。
ただし、日本代表監督として最適なのは、ザッケローニのような戦術姿勢なのだろう。日本人選手のキャラクターを活かすことを優先的に考えるべきで、“自陣に引いて守りを固め、カウンターを狙う”という戦い方は論理的ではない。ボールを持つ時間を増やしながら、機動力で狭いスペースを破る。この戦い方が主流になるだろう。
しかし世界で勝つには、相手に応じて多様な戦術を使えなくてはならない。
その点、ブラジル・ワールドカップ後に就任したハビエル・アギーレ監督は、リーガ・エスパニョーラで選手を上手く用いる手腕を見せていた。彼は攻撃的プレーの信奉者であるにもかかわらず、チーム力に応じて現実的に勝率を高められる。
戦力の乏しいオサスナをリーグ4位にした実績は、スクデット(セリエA優勝)にも値するキャリアだろう。個人的には、“日本代表を成熟させられる”と期待していたのだが……。
次期代表監督の選考がスタートしている以上、今後に目を向けるべきだろう。
日本協会が採用しようとしている監督のキャラクターは、“ボールゲームにこだわる”という点で一貫している。過去に交渉した監督としては、グレゴリオ・マンサーノ、マルセロ・ビエルサ、マヌエル・ペレグリーニ、エルネスト・バルベルデ。そして今回の候補にも(真偽のほどは別にして)、ミカエル・ラウドルップ、ベルント・シュスター、ミチェルなどの攻撃志向の監督の名前が上がっている。
個人的には、選手の覚醒も促せるラウドルップが率いる日本代表はぜひ見てみたいものである。
しかし、こうしたビッグネームとの契約は簡単ではない。彼らは経歴豊富で、競合相手も多いからだ。そこでひとつ提案がある。「ワールドカップやチャンピオンズ・リーグなど大きな大会で指揮を執った経験があり、結果を残している」という監督選定条件からは逸脱するだろうが、若く鋭気に満ちた監督に舵取りを任せるのはどうだろうか?
監督のキャリアよりも、その資質を見極め、職を託すのだ。コラム後編では、それにふさわしい人物の名前を挙げるとしよう。
ヘスス・スアレス/現役時代はガリシア州1部リーグでプレー。引退後、監督養成学校でF・バスケス(前デポルティボ監督)に師事し、指導者の道へ。州リーグのクラブで監督を務めた後、『オール・ヨーロッパ』誌に寄稿するなど、ジャーナリストとして活躍。指導者的立場からの理論には定評がある。
ただし、日本代表監督として最適なのは、ザッケローニのような戦術姿勢なのだろう。日本人選手のキャラクターを活かすことを優先的に考えるべきで、“自陣に引いて守りを固め、カウンターを狙う”という戦い方は論理的ではない。ボールを持つ時間を増やしながら、機動力で狭いスペースを破る。この戦い方が主流になるだろう。
しかし世界で勝つには、相手に応じて多様な戦術を使えなくてはならない。
その点、ブラジル・ワールドカップ後に就任したハビエル・アギーレ監督は、リーガ・エスパニョーラで選手を上手く用いる手腕を見せていた。彼は攻撃的プレーの信奉者であるにもかかわらず、チーム力に応じて現実的に勝率を高められる。
戦力の乏しいオサスナをリーグ4位にした実績は、スクデット(セリエA優勝)にも値するキャリアだろう。個人的には、“日本代表を成熟させられる”と期待していたのだが……。
次期代表監督の選考がスタートしている以上、今後に目を向けるべきだろう。
日本協会が採用しようとしている監督のキャラクターは、“ボールゲームにこだわる”という点で一貫している。過去に交渉した監督としては、グレゴリオ・マンサーノ、マルセロ・ビエルサ、マヌエル・ペレグリーニ、エルネスト・バルベルデ。そして今回の候補にも(真偽のほどは別にして)、ミカエル・ラウドルップ、ベルント・シュスター、ミチェルなどの攻撃志向の監督の名前が上がっている。
個人的には、選手の覚醒も促せるラウドルップが率いる日本代表はぜひ見てみたいものである。
しかし、こうしたビッグネームとの契約は簡単ではない。彼らは経歴豊富で、競合相手も多いからだ。そこでひとつ提案がある。「ワールドカップやチャンピオンズ・リーグなど大きな大会で指揮を執った経験があり、結果を残している」という監督選定条件からは逸脱するだろうが、若く鋭気に満ちた監督に舵取りを任せるのはどうだろうか?
監督のキャリアよりも、その資質を見極め、職を託すのだ。コラム後編では、それにふさわしい人物の名前を挙げるとしよう。
ヘスス・スアレス/現役時代はガリシア州1部リーグでプレー。引退後、監督養成学校でF・バスケス(前デポルティボ監督)に師事し、指導者の道へ。州リーグのクラブで監督を務めた後、『オール・ヨーロッパ』誌に寄稿するなど、ジャーナリストとして活躍。指導者的立場からの理論には定評がある。