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「多くの方がピッチ内外でアシストしてくれた」元日本代表FW永島昭浩氏が語る“最後のVゴール”

カテゴリ:Jリーグ

江國 森(サッカーダイジェストWeb編集部)

2020年05月15日

なぜ引退を決断したのか?

神戸を愛し、神戸に愛された男は2000年にユニホームを脱いだ。(C)SOCCER DIGEST

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――実際に移籍してみて、神戸はどんなチームでしたか?

「当時はまだ練習場がなかったんです。練習が終わった時に『明日はここでやります』というのが日常茶飯事で、公園や学校の校庭を借りてやっていました。もちろん、ロッカールームもシャワーもないし、階段などで着替えてましたね。でも、全く苦じゃなかった」

――それはなぜですか?

「エスパルス時代も、マイクロバスで1時間ぐらいかけて河川敷に行って、練習する時があったんです。雨の日なんてドロドロになるんですが、シャワーはないので、そのままバスに乗って。エスパルスも新しいチームだったんで、そういう事情の中で、スタッフの方が本当に一生懸命やってくれていた。それを経験していましたし、ましてや震災でもっと大変な思いをしている人のことを考えれば、全く問題なかったですね」

――サッカーのレベルとしては?

「加入当初は、思うように成績は残せませんでした。練習環境とかを言い訳にする選手の話も耳にしたので、いい状況とは言えなかった。ただ、良い選手が揃ってましたし、外国籍選手もレベルも高かった。噛み合えば上手くいくんじゃないかなという思いはありました」
 
――エースとして2年でJリーグに昇格させました。

「有難かったのは、移籍1年目に左足を故障したんですが、クラブが早々に手術をさせてくれたんです。途中でJリーグ昇格が難しくなり、無理せずに新シーズンに万全な形でJリーグを目ざそうと言ってくれて。エネルギーを貯められる時間が作れて、2年目に昇格に貢献できたんだと思います」

――昇格して4シーズンで現役を引退されました。決断した理由は?

「右肩の鎖骨を折ったのが大きいですね。3度も手術をしたので、病室で色々考える時間があって、『なぜこうなったんだ』『なぜ3回も手術したんだ』と考えて時、肩を叩かれたのかなという風に解釈しました。有難いことにクラブは、肩を叩くようなことはしない、という雰囲気でした。神戸で10歳からサッカーを始めて、12歳の時に初めて日本代表になるという夢を掲げて、ずっとやってきました。36歳まで、再び日本代表に選ばれるのを目標にプレーしてきて、夢じゃないことを目標に現役を続けるのは違うなと」
 
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