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【連載・東京2020】立田悠悟/前編「『あいつらはみんな命懸けだった』サッカー観を変えた恩師の問いかけ」

カテゴリ:日本代表

前島芳雄

2019年12月30日

「最初は4~5人しか選手がいなくて、試合もできなかった」

2019年のリーグ戦ではCBと右SBをこなす利便性と191㌢の高さを買われ、重宝された。写真:金子拓弥(サッカーダイジェスト写真部)

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――小学校時代はどんな選手でしたか?
「ガンガン前に行って、点を取りたがるタイプでした。ただの目立ちたがりというより、ゴールってカッコいいなと思っていたので、とにかく得点を狙っていました」

――当時の武器は?
「なんだろう? 足も速くなかったし、技術もなかったけど、なんか点は取っちゃう選手でした。ごっつぁんゴールみたいなのが多かったと思います」

――気持ちで押し込むような?
「はい。でも、小4の頃は結構身体が大きくなっていて、周りよりも足が速かったので、フェイントなしでもDFをかわしていけました。あとキック力もありました」
 
――小4で少年団からクラブチームに移っていますね。
「元々清水FC(数多くの日本代表を輩出した清水の選抜チーム)のスクールに入っていて、そこで前嶋(孝志)先生というコーチに教わっていました。でも、小4の時に清水FCがなくなって、その代わりに『清水クラブ』というクラブチームができたんですよ。その頃に前嶋先生(本業は小学校教諭)から『全然成長していない』と言われて……、そこで何かを感じて、新しい環境で成長したいと思って入りました。だから僕は1期生で、最初は4~5人しか選手がいなくて、試合もできなかったんですが、その分基本技術の練習はたくさんできました」

――少人数でやったことで、みっちり基礎技術を磨けたと。
「前嶋先生は本当に基本を重視するコーチだったのもありますね。練習しながら自分が上手くなっているのが分かって楽しかった記憶があります。それに小学校時代に基本をしっかり教えてもらえたのは、自分にとってはすごく大きかったです」

――いつ頃から試合が組めるように?
「初めは、僕と幼なじみの兄弟4人、それに何人かを混ぜてやっていました。小4の後半にまでは、8人制くらいでやるのがやっとでしたが、小5の頃には11人で試合もできるようになりました。それから県大会に出られるくらいの力もついていって。最高は県大会のベスト16くらいでしたけど、どんどんチームが強くなっていくのが楽しかったんですよね」
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