「成長の遅さに思い悩んだ時期もあった」
――自分はどんなタイプの選手と考えている? パサー、ゴールゲッター、それともドリブラー?
「そのミックスだね。前線に飛び出したり、サイドに開いたり、クロスを上げたり、試合の局面に応じて自分の特徴を変えながらプレーすることを心掛けている。ドリブル、パス、シュートとチームが必要としているプレーをね。その使い分けができるようになったことが、成長できた部分だと思う」
――パブロは2013年のアンダー21欧州選手権(イスラエル大会)を制覇した。当時の優勝メンバーにはチアゴ・アルカンタラ(現バイエルン・ミュンヘン)、コケ、アルバロ・モラタ(ともに現アトレティコ・マドリー)らもいたけど、この中でA代表デビューにいちばん時間がかかった。
「遅咲きのタイプだったんだ。それぞれ成長速度ってものがあるし、その点時間はかかったけど、少しずつ着実に進化できたって手応えはある。毎晩寝るときに試合にしろ練習にしろ全力でプレーしたという確信を持てるかどうかが、僕にとってはすべての物差しなんだ」
「そのミックスだね。前線に飛び出したり、サイドに開いたり、クロスを上げたり、試合の局面に応じて自分の特徴を変えながらプレーすることを心掛けている。ドリブル、パス、シュートとチームが必要としているプレーをね。その使い分けができるようになったことが、成長できた部分だと思う」
――パブロは2013年のアンダー21欧州選手権(イスラエル大会)を制覇した。当時の優勝メンバーにはチアゴ・アルカンタラ(現バイエルン・ミュンヘン)、コケ、アルバロ・モラタ(ともに現アトレティコ・マドリー)らもいたけど、この中でA代表デビューにいちばん時間がかかった。
「遅咲きのタイプだったんだ。それぞれ成長速度ってものがあるし、その点時間はかかったけど、少しずつ着実に進化できたって手応えはある。毎晩寝るときに試合にしろ練習にしろ全力でプレーしたという確信を持てるかどうかが、僕にとってはすべての物差しなんだ」
――最近フィジカルが強くなった印象があるけど、何か特別な練習はしているの?
「パワーや反応速度を高めるためのトレーニングを多く取り入れてきたんだ。プリメーラにデビューしたばかりの頃は、プレーレベルに適応するのに苦労したからね。たしかにセグンダB(実質3部)で当たりの激しさには慣れていたけど、パススピードなんかは格段に違っていたしね」
――ヘタフェに移籍したのは11年に夏、19歳の時だった。マドリーのカンテラで逸材と騒がれていた君が、他のチームでプレーすることに抵抗はなかった?
「そりゃいろいろ苦労もあったよ。アンダー21代表時代のチームメイトがタイトルを獲得したりする中で、じっくり実力を蓄えなければならなかったからね。成長の遅さに思い悩んだ時期もあった。とくにマドリーを退団するのは簡単ではなかった。いっぱい悩んだし、強い覚悟が必要だった。でもその決断をしたことで今の自分があるわけだし、おかげで精神的にもタフになった。
今ではフットボーラ―として成長するためのポジティブな試練だったと自信を持って言える。信頼をしてくれたヘタフェとセビージャには感謝している。この2つのチームでプレーすることで、マドリーの外に出てもサッカー人生が続いていくということを理解することができた」
――今でも試合に負けたら、機嫌が悪くなるの?
「負けず嫌いの性格は変わらないね。ただ昔のように審判に食って掛かったり、家に帰ってもストレスを全身に発散して誰も寄り付かなくなるなんてことはなくなった。今は30分間ほど自室にひとりで籠りでもすれば、あとは普通に家族と一緒に過ごすことができているよ」
インタビュー・文●ラスディラオ・ハビエル・モニーノ(エル・パイス紙)
翻訳●下村正幸
※『サッカーダイジェストWEB』では日本独占契約に基づいて『エル・パイス』紙の記事を翻訳配信しています。
「パワーや反応速度を高めるためのトレーニングを多く取り入れてきたんだ。プリメーラにデビューしたばかりの頃は、プレーレベルに適応するのに苦労したからね。たしかにセグンダB(実質3部)で当たりの激しさには慣れていたけど、パススピードなんかは格段に違っていたしね」
――ヘタフェに移籍したのは11年に夏、19歳の時だった。マドリーのカンテラで逸材と騒がれていた君が、他のチームでプレーすることに抵抗はなかった?
「そりゃいろいろ苦労もあったよ。アンダー21代表時代のチームメイトがタイトルを獲得したりする中で、じっくり実力を蓄えなければならなかったからね。成長の遅さに思い悩んだ時期もあった。とくにマドリーを退団するのは簡単ではなかった。いっぱい悩んだし、強い覚悟が必要だった。でもその決断をしたことで今の自分があるわけだし、おかげで精神的にもタフになった。
今ではフットボーラ―として成長するためのポジティブな試練だったと自信を持って言える。信頼をしてくれたヘタフェとセビージャには感謝している。この2つのチームでプレーすることで、マドリーの外に出てもサッカー人生が続いていくということを理解することができた」
――今でも試合に負けたら、機嫌が悪くなるの?
「負けず嫌いの性格は変わらないね。ただ昔のように審判に食って掛かったり、家に帰ってもストレスを全身に発散して誰も寄り付かなくなるなんてことはなくなった。今は30分間ほど自室にひとりで籠りでもすれば、あとは普通に家族と一緒に過ごすことができているよ」
インタビュー・文●ラスディラオ・ハビエル・モニーノ(エル・パイス紙)
翻訳●下村正幸
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