海外挑戦の真相。「実は15年シーズンの途中から…」
ケニアで充実したキャリアを過ごしたオルンガには、「海外に挑戦したい」気持ちが膨らんでいた。16年、その野心はすぐに現実となる。
「実は15年シーズンの途中から、スウェーデン1部リーグに所属するユールゴーデンのスカウトが、僕のプレーをチェックしてくれていた。シーズン後に受けたトライアルで合格し、4年契約。
でも、初の海外は本当に大変だった。冬の時期にマイナス5度にもなる気候は未経験ですから生活するのも難しく、プレーも上手くいかない。試合に出られなくて得点も0で、約半年を棒に振って悔しかった」
それでも辛抱強くトレーニングを続け、異国の地にも慣れ始めると、ついにその日がやってくる。16年の8月8日、ヨーテボリ戦でようやく初ゴールを奪ったのだ。するとそこから怒涛の勢いでゴールを重ねた。
「結果的に16年はチームトップの12ゴールを決めて、良いシーズンだった。その後は、僕の活躍を見てくれた中国の貴州智誠から、当時(ユールゴーデンとしては)クラブ最高額のオファーを受けて、チームにお金を残すためにも移籍した」
「実は15年シーズンの途中から、スウェーデン1部リーグに所属するユールゴーデンのスカウトが、僕のプレーをチェックしてくれていた。シーズン後に受けたトライアルで合格し、4年契約。
でも、初の海外は本当に大変だった。冬の時期にマイナス5度にもなる気候は未経験ですから生活するのも難しく、プレーも上手くいかない。試合に出られなくて得点も0で、約半年を棒に振って悔しかった」
それでも辛抱強くトレーニングを続け、異国の地にも慣れ始めると、ついにその日がやってくる。16年の8月8日、ヨーテボリ戦でようやく初ゴールを奪ったのだ。するとそこから怒涛の勢いでゴールを重ねた。
「結果的に16年はチームトップの12ゴールを決めて、良いシーズンだった。その後は、僕の活躍を見てくれた中国の貴州智誠から、当時(ユールゴーデンとしては)クラブ最高額のオファーを受けて、チームにお金を残すためにも移籍した」
しかし、中国では9試合・2得点と成績が振るわず、17年9月にスペインのジローナへレンタル移籍する。
「世界最高峰のリーグであるラ・リーガでのプレーは、自分のキャリアのなかで最も重要な経験だった。子どもの頃から憧れているバルサ(バルセロナ)やレアル(・マドリー)と対戦できるなんて、夢のようだったし、今でも満足している」
スペインで最も記憶に残っているのは18年1月13日、後半途中から出場したラス・パルマス戦だ。
「ハットトリックできて、今でもあの喜びを覚えている。ラ・リーガでケニア人として初の得点を記録できたのは誇りだね」