フィジカルだけではなくメンタルの強靭さも必要
日本人で初めて欧州トップリーグでプレーした奥寺康彦も、ケルン入団1年目のシーズンにドイツで2冠獲得を経験した。当時チーム内には西ドイツ代表が目白押しで、ハインツ・フローエを中心に中盤からは矢継ぎ早に質の高いパスが供給された。ケルン入団への最終テストの意味合いを持つ日本代表時代の練習参加では「いつもこんなに凄いパスを受けられたら楽しいだろうな」と実感したそうである。一方でチームを指揮する名将ヘネス・バイスバイラーが、日本代表監督の二宮寛と昵懇で、クロップが香川の才能を見込んだように、奥寺をトップレベルのプロに育てようと意欲的だったのも重要なポイントだった。
また小野伸二も、オランダで3強のひとつ、フェイエノールトに移籍し、デンマーク代表のヨンダール・トマソンやオランダ代表のピエール・ファンホーイドンク、さらには成長途上のロビン・ファン・ペルシらを見事に活かし切り、いきなりUEFAカップ(現在の名称はヨーロッパリーグ)を手にした。もちろん小野には傑出したテクニックや戦術眼が備わっていたが、移籍して間もなくオランダ語をマスターしてしまった順応性も見逃せなかった。
さらに中村俊輔も伝説を紡ぎ出したのは、スコットランドで唯一欧州制覇の歴史を持つセルティックに移籍してからで、ゲームを支配できる分だけファンタジーを吹き込む機会も増え、欧州の舞台ではマジカルなキックがインパクトを強めた。
逆に中堅以下のクラブから浮上するには、個の強烈なアピールが不可欠になる。そして象徴的なふたりの成功例を見ても、フィジカルだけではなくメンタルの強靭さも必要だ。
まず中田英寿は、セリエBから昇格したばかりのペルージャの一員となるが、1998-99シーズンの開幕戦から孤軍奮闘し前回王者のユベントスから2ゴールを奪っている。歴史的にも日本人としてはもっとも鮮烈なデビューだった。のちに中田がボローニャでプレーした時の指揮官だったカルロ・マッツォーネは語っていた。
「彼は十分な自信を備えていた。だから相応の役割を与えたんだ」
また小野伸二も、オランダで3強のひとつ、フェイエノールトに移籍し、デンマーク代表のヨンダール・トマソンやオランダ代表のピエール・ファンホーイドンク、さらには成長途上のロビン・ファン・ペルシらを見事に活かし切り、いきなりUEFAカップ(現在の名称はヨーロッパリーグ)を手にした。もちろん小野には傑出したテクニックや戦術眼が備わっていたが、移籍して間もなくオランダ語をマスターしてしまった順応性も見逃せなかった。
さらに中村俊輔も伝説を紡ぎ出したのは、スコットランドで唯一欧州制覇の歴史を持つセルティックに移籍してからで、ゲームを支配できる分だけファンタジーを吹き込む機会も増え、欧州の舞台ではマジカルなキックがインパクトを強めた。
逆に中堅以下のクラブから浮上するには、個の強烈なアピールが不可欠になる。そして象徴的なふたりの成功例を見ても、フィジカルだけではなくメンタルの強靭さも必要だ。
まず中田英寿は、セリエBから昇格したばかりのペルージャの一員となるが、1998-99シーズンの開幕戦から孤軍奮闘し前回王者のユベントスから2ゴールを奪っている。歴史的にも日本人としてはもっとも鮮烈なデビューだった。のちに中田がボローニャでプレーした時の指揮官だったカルロ・マッツォーネは語っていた。
「彼は十分な自信を備えていた。だから相応の役割を与えたんだ」
本田圭佑の巻き返しは、さらに過酷だった。加入したオランダのVVVは最初のシーズンで2部に降格。しかし翌シーズン、途中から本田がキャプテンマークをつけ1部復帰に貢献。昇格後も格上相手に快進撃を見せ、ロシアのCSKAモスクワへステップアップした。
だが中田に続き、セリエAに挑戦した名波浩や、鹿島の黄金期を支えた小笠原満男や柳沢敦は、大きな爪痕を残せずに短期間で日本の古巣に復帰した。名波が移籍したヴェネツィアでは、前シーズンにインテルからレンタルで加入したアルバロ・レコバが、ひとりでまるでスーパーマンのようにチームを降格の危機から救った。しかし同じレフティでも名波の特徴は違った。活用する駒がなければ、磐田で描くようなファンタジーをピッチで披露するのは不可能だった。
こうして日本人選手たちの欧州挑戦史を振り返っても、残念ながら最終的にビッグクラブで大きな成功を掴み取ったケースは見当たらない。最も近づいたのは香川で、マンUでもリーグ制覇に貢献したが、ドルトムント時代に比べて役割が変わり出場機会も減った。本田圭佑が契約したミランも、そこから10年間遡れば掛け値なしのビッグクラブだったが、すでにセリエA全体の地盤沈下が進行していた。
だが中田に続き、セリエAに挑戦した名波浩や、鹿島の黄金期を支えた小笠原満男や柳沢敦は、大きな爪痕を残せずに短期間で日本の古巣に復帰した。名波が移籍したヴェネツィアでは、前シーズンにインテルからレンタルで加入したアルバロ・レコバが、ひとりでまるでスーパーマンのようにチームを降格の危機から救った。しかし同じレフティでも名波の特徴は違った。活用する駒がなければ、磐田で描くようなファンタジーをピッチで披露するのは不可能だった。
こうして日本人選手たちの欧州挑戦史を振り返っても、残念ながら最終的にビッグクラブで大きな成功を掴み取ったケースは見当たらない。最も近づいたのは香川で、マンUでもリーグ制覇に貢献したが、ドルトムント時代に比べて役割が変わり出場機会も減った。本田圭佑が契約したミランも、そこから10年間遡れば掛け値なしのビッグクラブだったが、すでにセリエA全体の地盤沈下が進行していた。
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