戦術か? 個性か?
サッカーの歴史において〝個〞と〝組織〞のバランスというのは時代によって常に変化してきた。どちらかに偏り過ぎるのは良くないが、ときに圧倒的な〝個〞の力で勝敗が決する場合がある。ただ、試合を決定づけたのは〝個〞の力だとしても、それを支える〝組織〞があることを忘れてはいけない。
86年のメキシコ・ワールドカップは多くのサッカーファンにとって〝マラドーナの大会〞として記憶されている。ディエゴ・マラドーナが左足にボールを収めれば何かが起きるという高揚感。それは、ピッチ上で一緒にプレーしていたチームメイトも同様だったはずだ。
ピッチ上には〝副官〞ホルヘ・ブルチャガや中盤で攻守を取り仕切るセルヒオ・バティスタ、最高のラストパスをゴールに結びつけるバルダーノといった〝不世出のレフティー〞を支える選手たちがいた。彼らは一人ひとりが役割に応じたスペシャリティーを有していたのだ。
現代サッカーでは組織的な戦術がベースとなり、攻守のトランジション(切り替え)や連動性、ゴール前にいかに人数をかけられるかといった要素が勝敗に大きく影響するようになった。それに伴い、組織を機能させるために一人ひとりがやるべきタスクが大幅に増えたのだ。いまではキーパーですら、攻撃の起点として足下の技術が求められている。
もちろん現在でも、リオネル・メッシやクリスチアーノ・ロナウドのような圧倒的な〝個〞を持つ例外的な選手はいるが、彼らもあくまで組織的な戦術の中に組み込まれている。昨年のロシア・ワールドカップでクロアチア代表を準優勝に導き、バロンドールを獲得したルカ・モドリッチは現代サッカーならではのバーサタイル(多様性)な能力を持つ究極的な存在だ。
中盤で攻撃を組み立て、決定的なパスを送り、守備にも奮闘する。そして、ときには重要なゴールも決めてみせるのだ。モドリッチのスペシャリティーを1つ挙げろと言われたら、ファンの中でも意見は分かれるだろう。彼ほど万能ではなくても、現在トップレベルでプレーしている選手は多かれ少なかれ複数の能力を持ち、様々な戦術的要求に応えているのだ。
86年のメキシコ・ワールドカップは多くのサッカーファンにとって〝マラドーナの大会〞として記憶されている。ディエゴ・マラドーナが左足にボールを収めれば何かが起きるという高揚感。それは、ピッチ上で一緒にプレーしていたチームメイトも同様だったはずだ。
ピッチ上には〝副官〞ホルヘ・ブルチャガや中盤で攻守を取り仕切るセルヒオ・バティスタ、最高のラストパスをゴールに結びつけるバルダーノといった〝不世出のレフティー〞を支える選手たちがいた。彼らは一人ひとりが役割に応じたスペシャリティーを有していたのだ。
現代サッカーでは組織的な戦術がベースとなり、攻守のトランジション(切り替え)や連動性、ゴール前にいかに人数をかけられるかといった要素が勝敗に大きく影響するようになった。それに伴い、組織を機能させるために一人ひとりがやるべきタスクが大幅に増えたのだ。いまではキーパーですら、攻撃の起点として足下の技術が求められている。
もちろん現在でも、リオネル・メッシやクリスチアーノ・ロナウドのような圧倒的な〝個〞を持つ例外的な選手はいるが、彼らもあくまで組織的な戦術の中に組み込まれている。昨年のロシア・ワールドカップでクロアチア代表を準優勝に導き、バロンドールを獲得したルカ・モドリッチは現代サッカーならではのバーサタイル(多様性)な能力を持つ究極的な存在だ。
中盤で攻撃を組み立て、決定的なパスを送り、守備にも奮闘する。そして、ときには重要なゴールも決めてみせるのだ。モドリッチのスペシャリティーを1つ挙げろと言われたら、ファンの中でも意見は分かれるだろう。彼ほど万能ではなくても、現在トップレベルでプレーしている選手は多かれ少なかれ複数の能力を持ち、様々な戦術的要求に応えているのだ。