レジェンドの軌跡 THE LEGEND STORY――第49回 B・チャールトン(元イングランド代表)

カテゴリ:ワールド

サッカーダイジェストWeb編集部

2019年06月06日

弱冠20歳で悲劇のチームを背負う存在に…

チャールトンを他のスーパースターと比較し、傑出した才能の持ち主ではない、と見る評論家もいるが、その効果的で無駄のないプレーに対しては、誰もが称賛を惜しむことはない。そして人間性も高く評価し、「ミスター・イングランド」の称号をチャールトンに贈っている。 (C) REUTERS/AFLO

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 本誌ワールドサッカーダイジェストと大人気サッカーアプリゲーム・ポケサカとのコラボで毎月お送りしている「レジェンドの言魂」では、サッカー史を彩った偉大なるスーパースターが、自身の栄光に満ちたキャリアを回想しながら、現在のサッカー界にも貴重なアドバイスと激励を送っている。

 さて今回、サッカーダイジェストWebに登場するのは、秀でたテクニックや「キャノンシュート」という必殺の武器で相手ゴールを脅かし、攻守両面で絶大な存在感を示した天性のリーダー、ボビー・チャールトンだ。

ピッチ上だけでなく、その人間性でも仲間の信頼と世界中の人々の尊敬を勝ち取った、「イングランド・サッカー史上最高の選手」の誉れ高き大偉人の軌跡を、ここで振り返ってみよう。

――◇――◇――

 1937年10月11日、ロバート・チャールトンはイングランド北西部の炭鉱町、アシントンに生を受けた。父は炭鉱夫、母は教師という平凡な家庭だが、イングランド・サッカー最高のインナーといわれたジャッキー・ミルバーンを含めて3人のサッカー選手が叔父であり、母も元サッカー選手という、サッカーとの繋がりが強い一族でもあった。

 大人たちがドッグレースや鳩レース、そしてサッカーの賭けに興じるなかで、「ボビー」少年は自らプレーすることに情熱を注いだ。

 2歳上の兄で、少年時代から炭鉱で働いていたジャッキーも、サッカーをやっていた。長身を活かしたプレースタイルの兄について、ボビーは周囲に「僕よりサッカーが上手い」と言い回っていたが、周囲の見方は全く逆。ボビーの、小柄ながらもしなやかな体躯がくり出すボールコントロールは、少年のそれではなかったからだ。

 天性の素質は、彼がアシントンに居続けることを許さず、15歳の時にマンチェスター・ユナイテッドのスカウトの目に留まる。当初は将来のために電気技師の見習いをしていたボビーだが、17歳の時にサッカーで生活していく決意を固める。
 そして56年10月のチャールトン戦(奇しくも!)でトップチーム・デビュー。この時、名将マット・バスビーは、19歳の新鋭選手を「あいつは10万ポンド(当時の価値で1億円以上)の値打ちがある」と絶賛。まだ、この額で移籍が行われることも、これほどの額を稼ぎ出す選手もいなかった時代での話だ。

 バスビーに率いられたマンチェスター・Uにはこの時期、多くの将来有望な若者が集っていた。口の悪い者は「サッカー学校」と表現したものだが、バスビー、そして補佐役ジミー・マーフィーの徹底した指導により、チャールトン、ダンカン・エドワーズ、デイビッド・ペグ等々……才能溢れる“少年”たちは、一流のサッカー選手へと成長を遂げた。

「バスビーベイブス」と呼ばれた彼らは、55-56シーズンにリーグを制覇して最強チームへの歩みを始めていたが、そこにチャールトンが加わり、より攻撃力や組織力は高まっていった。彼は14試合出場で10得点という成績をデビューイヤーで残し、チームのリーグ連覇にいきなり貢献した。

 快進撃を見せるマンチェスター・Uは、戦後の貧しいイングランドに、爽やかさと未来への希望を与える存在として、期待・注目されていた。しかし、そんななかで「ミュンヘンの悲劇」は起こった……。

 58年2月5日、チャンピオンズ・カップ(現リーグ)準々決勝第2レグでユーゴスラビア(当時)のレッドスターと敵地ベオグラードで対戦したマンチェスター・Uは、チャールトンの2ゴールなどで3-3の引き分け。合計スコア5-4で難敵を退け、翌日、意気揚々と英国への帰途に着いた。

 途中、給油で立ち寄ったドイツ・ミュンヘンは大雪。選手を乗せた飛行機は数度のやり直しを経て離陸を試みたが、機体は上昇せず、滑走路を突っ切って建物に激突し炎上、乗員乗客44名のうち23名が死亡するという大惨事となった。

 チャールトンは奇跡的に軽傷で済み、バスビー監督も重傷ながら一命をとり止めたが、主将エドワーズをはじめ多くの主力選手、クラブ役員、新聞記者が命を落としたことで、マンチェスター・Uは崩壊状態となり、解散の危機すら囁かれた。

この悲劇はイングランド全土に大きな衝撃を与え、人々はこの国から若きスピリットが失われたと嘆き悲しんだ。しかしマンチェスター・U、そして傷の癒えたバスビー監督の情熱は失われず、再び最強チーム構築に一から着手する。

 チャールトンは事故当初、大きな精神的ショックを負ったものの、間もなく意欲を取り戻し、「必ず欧州カップを手にしてみせる」と誓った。この事故を機に、まだ弱冠20歳の彼は人間的にも大きな変貌を遂げる。主力の大半を失ったチームで、生き残ったチャールトンはチームの牽引役とならざるを得なかったのだ。
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