【消えた逸材】U-20W杯でMVP&得点王に輝きミランと契約したガーナ代表FWは、なぜ表舞台から消えたのか? スアレスの「ハンド事件」が明暗を…
カテゴリ:ワールド
2019年03月24日
流浪の末に辿り着いたのは…。
スアレスのハンドがなければ、あのヘッドは劇的な決勝点になっていたはずだった。アディイアーは文字通りの英雄となり、大会後のミランでの立場も違っていたかもしれない。しかし、現実にはそうならなかった。
W杯終了後、「もっと試合に出たい」と訴えたアディイアーは、セリエBのレッジーナにレンタルされた。だが、そこでも出番を得られず、半年後の11年2月にはパルチザンへ。
その後は坂道を転がり落ちるように半年ごとにクラブを転々とし、12年夏にミランとの契約が切れるとフリーでウクライナのアルセナル・キエフへ移籍。ここでは、クラブの破産によって契約が強制的に解除される憂き目に遭ってもいる。
W杯終了後、「もっと試合に出たい」と訴えたアディイアーは、セリエBのレッジーナにレンタルされた。だが、そこでも出番を得られず、半年後の11年2月にはパルチザンへ。
その後は坂道を転がり落ちるように半年ごとにクラブを転々とし、12年夏にミランとの契約が切れるとフリーでウクライナのアルセナル・キエフへ移籍。ここでは、クラブの破産によって契約が強制的に解除される憂き目に遭ってもいる。
15年冬、アディイアーが流れ着いたのはタイだった。4シーズンに渡りプレーしたナコーンラーチャシーマーとの契約が昨年5月で満了し、12月にシーサケートという2部のクラブと契約した。
タイの空を見上げながら懐かしく思うのは、母国ガーナか、ミラネッロ練習場か、南アフリカでのW杯か。あのヘッドが決まっていれば――。そのフットボール人生は、まったく違ったものになっていたかもしれない。
文●弓削高志
※『ワールドサッカーダイジェスト』2019年3月7日号より転載
タイの空を見上げながら懐かしく思うのは、母国ガーナか、ミラネッロ練習場か、南アフリカでのW杯か。あのヘッドが決まっていれば――。そのフットボール人生は、まったく違ったものになっていたかもしれない。
文●弓削高志
※『ワールドサッカーダイジェスト』2019年3月7日号より転載