02年はパレンシア、10年はチチャリートを冷遇。
カバジェロとは逆のケースで波紋を呼んだのが、フランシスコ・パレンシアの冷遇だ。アギーレは国民の待望論に反して、当時絶頂期にあったFWを頑なに起用しようとしなかった。同じく日韓W杯での出来事だ。
登録メンバーには加えたものの、アギーレはパレンシアをベンチに置きつづけた。不可解きわまりない采配として、いまだに謎を残しているのが、決勝トーナメント1回戦・アメリカ戦でのそれだ。
開始8分に先制され、劣勢を強いられるなか、アギーレは28分に交代のカードを切った。しかし、これが理解不能の交代策だった。主力中の主力だったラモン・モラレスを下げて投入したのが、選手としてはすでに峠を越え、それまでの功績の褒美として招集されたと考えられていたルイス・エルナンデスだったのだ。
エルナンデスは周囲とまったく噛み合わず、この交代をきっかけにむしろ攻撃が硬直したメキシコは、65分に追加点を奪われ敗れ去った。アギーレはこの不可解な采配について、いまだ説明責任を果たしていない。
10年の南アフリカW杯でも、アギーレは小さくない議論を呼んでいる。
国内ナンバーワンの呼び声が高かったギジェルモ・オチョアではなく、日韓大会でレギュラーだったベテランのオスカル・ペレスを守護神に据えた判断は、周囲の意見に左右されず、みずからの考えを貫き通すいかにもアギーレらしい振る舞いだったが、それ以上に物議を醸したのが、パレンシアと同じようにハビエル・エルナンデスを軽視したことだ。
国内リーグでゴールを量産し、大会前にマンチェスター・ユナイテッド移籍が決まっていたチチャリート(エルナンデスの愛称)は、エル・トリの救世主としてファンの間で待望論が沸騰していた。にもかかわらずアギーレは、選手としてとっくにピークを過ぎ、コンディションも万全ではなかったアルゼンチン生まれのギジェルモ・フランコをFWのスタメンとして起用しつづけたのだ。
批判が吹き荒れたもうひとつの選考が、アドルフォ・バウティスタの招集だった。代表レベルにすら達していないというこのアタッカーを、それでもアギーレはW杯メンバーに加えたうえに、決勝トーナメント1回戦のアルゼンチン戦でトップ下のスタメンに抜擢したのだ。
案の定と言うべきか、アギーレの期待も空しく、バウティスタはほとんどなにもできないままハーフタイムでベンチに下げられた。前半のメキシコは、まるで1人少ない状態で戦っているようだった。それほど、指揮官の「隠し玉」は酷い出来だった。1-3で敗れたアギーレは、またしても汚点を残して代表を去る結果となったのである。
登録メンバーには加えたものの、アギーレはパレンシアをベンチに置きつづけた。不可解きわまりない采配として、いまだに謎を残しているのが、決勝トーナメント1回戦・アメリカ戦でのそれだ。
開始8分に先制され、劣勢を強いられるなか、アギーレは28分に交代のカードを切った。しかし、これが理解不能の交代策だった。主力中の主力だったラモン・モラレスを下げて投入したのが、選手としてはすでに峠を越え、それまでの功績の褒美として招集されたと考えられていたルイス・エルナンデスだったのだ。
エルナンデスは周囲とまったく噛み合わず、この交代をきっかけにむしろ攻撃が硬直したメキシコは、65分に追加点を奪われ敗れ去った。アギーレはこの不可解な采配について、いまだ説明責任を果たしていない。
10年の南アフリカW杯でも、アギーレは小さくない議論を呼んでいる。
国内ナンバーワンの呼び声が高かったギジェルモ・オチョアではなく、日韓大会でレギュラーだったベテランのオスカル・ペレスを守護神に据えた判断は、周囲の意見に左右されず、みずからの考えを貫き通すいかにもアギーレらしい振る舞いだったが、それ以上に物議を醸したのが、パレンシアと同じようにハビエル・エルナンデスを軽視したことだ。
国内リーグでゴールを量産し、大会前にマンチェスター・ユナイテッド移籍が決まっていたチチャリート(エルナンデスの愛称)は、エル・トリの救世主としてファンの間で待望論が沸騰していた。にもかかわらずアギーレは、選手としてとっくにピークを過ぎ、コンディションも万全ではなかったアルゼンチン生まれのギジェルモ・フランコをFWのスタメンとして起用しつづけたのだ。
批判が吹き荒れたもうひとつの選考が、アドルフォ・バウティスタの招集だった。代表レベルにすら達していないというこのアタッカーを、それでもアギーレはW杯メンバーに加えたうえに、決勝トーナメント1回戦のアルゼンチン戦でトップ下のスタメンに抜擢したのだ。
案の定と言うべきか、アギーレの期待も空しく、バウティスタはほとんどなにもできないままハーフタイムでベンチに下げられた。前半のメキシコは、まるで1人少ない状態で戦っているようだった。それほど、指揮官の「隠し玉」は酷い出来だった。1-3で敗れたアギーレは、またしても汚点を残して代表を去る結果となったのである。