動けなくても、ピッチには立ちたい“不動の10番”
[週刊サッカーダイジェスト・2002年3月20日号にて掲載。以下、加筆・修正]
──大杉さんとサッカーの接点はいつごろ生まれたのでしょうか。
「メキシコ五輪が1968年で、あの1年前だから、もう35年経ちますよ。僕はテニスをやってたんですけど、兄貴の影響でね、相手をさせられてたんです。で、高校に入ってすぐに五輪だった。高校のサッカー部なんてゴンタクレ(不良)の溜まり場だったけど、五輪があったから少し認知されて、陽の当たり出した頃でね。ああ、のめり込んでいきそうって。
高校を出てから上京して、新宿のゴールデン街に通い出して、また出会いがあった。東京でもサッカーやりたいなと思ってたんですけど、とある店でサッカーチームがあるってことで、入れていただいたんです」
──いまもサッカーチームをお持ちですよね。かつおクラブでしたか。
「いわしですよ、い・わ・し! 漢字で書いてくださいね、鰯と。これって魚へんに弱いって書くでしょ。呑んでる時に肴で出てきて、『いわしってどういう字だっけ? あ、これっていいじゃない。庶民的じゃん、身近じゃん』と。それまではホワイトドランカーズというチームだったんですよ。まあ“白き呑み助たち”ってとこ。酒好きの集まりって感じでね。緊張感のなさがよく出てるでしょ」
──ちなみにポジションは?
「センターフォワード」
──トップですか!?
「いや、センターフォワード(笑)。トップというと最近っぽいし、ホントに前にいるだけという古き良き匂いのする感じで。まあ、そこしかできないんですけどね。どさくさ紛れに点を取るのを得意としています。とにかく動けなくても、ピッチには立ちたい。自分では“不動の10番”と言っています」
──サッカーをここまで続けてきた理由とは?
「理由がないからやってるんじゃないかなぁ。ただ好きなんですよ。ボールを蹴り合って点を入れるだけのシンプルなスポーツなんだけど、その単純さがいい。単純だからこそ奥がある。もちろん技術的には奥に行けないけど、気持ちのなかでは奥に行けるというのがあって、20代のときのサッカーと、いまの50代でのサッカーって肉体的にはぜんぜん違うでしょ。でもいまの僕は50代のサッカーってのを見つけようとしている。
たとえば走り方がみっともないとか負の要素を、自分のなかで見つけていくのが楽しみだったりする。ひとによっては迷惑な行為かもしれないし、ある意味では“窓際サッカー”っていうんですか(笑)。でもこれもサッカーだと思うと気が楽になるし、楽しめる。大阪の心斎橋にグリコの看板があるでしょ。あれと一緒。心斎橋にあるから、あの看板はグリコなわけです。そこに大杉さんがいるから安心できる、笑いのタネになる。ある種これって快感なんですよねぇ」
──戦術論や技術的なことを語るよりも、シンプルさがまずは大事だと。
「映画と一緒で、僕は語るよりもやりたいほうなんですね。やっぱサッカーって面白いよねって言い続けたいんです」
──大杉さんとサッカーの接点はいつごろ生まれたのでしょうか。
「メキシコ五輪が1968年で、あの1年前だから、もう35年経ちますよ。僕はテニスをやってたんですけど、兄貴の影響でね、相手をさせられてたんです。で、高校に入ってすぐに五輪だった。高校のサッカー部なんてゴンタクレ(不良)の溜まり場だったけど、五輪があったから少し認知されて、陽の当たり出した頃でね。ああ、のめり込んでいきそうって。
高校を出てから上京して、新宿のゴールデン街に通い出して、また出会いがあった。東京でもサッカーやりたいなと思ってたんですけど、とある店でサッカーチームがあるってことで、入れていただいたんです」
──いまもサッカーチームをお持ちですよね。かつおクラブでしたか。
「いわしですよ、い・わ・し! 漢字で書いてくださいね、鰯と。これって魚へんに弱いって書くでしょ。呑んでる時に肴で出てきて、『いわしってどういう字だっけ? あ、これっていいじゃない。庶民的じゃん、身近じゃん』と。それまではホワイトドランカーズというチームだったんですよ。まあ“白き呑み助たち”ってとこ。酒好きの集まりって感じでね。緊張感のなさがよく出てるでしょ」
──ちなみにポジションは?
「センターフォワード」
──トップですか!?
「いや、センターフォワード(笑)。トップというと最近っぽいし、ホントに前にいるだけという古き良き匂いのする感じで。まあ、そこしかできないんですけどね。どさくさ紛れに点を取るのを得意としています。とにかく動けなくても、ピッチには立ちたい。自分では“不動の10番”と言っています」
──サッカーをここまで続けてきた理由とは?
「理由がないからやってるんじゃないかなぁ。ただ好きなんですよ。ボールを蹴り合って点を入れるだけのシンプルなスポーツなんだけど、その単純さがいい。単純だからこそ奥がある。もちろん技術的には奥に行けないけど、気持ちのなかでは奥に行けるというのがあって、20代のときのサッカーと、いまの50代でのサッカーって肉体的にはぜんぜん違うでしょ。でもいまの僕は50代のサッカーってのを見つけようとしている。
たとえば走り方がみっともないとか負の要素を、自分のなかで見つけていくのが楽しみだったりする。ひとによっては迷惑な行為かもしれないし、ある意味では“窓際サッカー”っていうんですか(笑)。でもこれもサッカーだと思うと気が楽になるし、楽しめる。大阪の心斎橋にグリコの看板があるでしょ。あれと一緒。心斎橋にあるから、あの看板はグリコなわけです。そこに大杉さんがいるから安心できる、笑いのタネになる。ある種これって快感なんですよねぇ」
──戦術論や技術的なことを語るよりも、シンプルさがまずは大事だと。
「映画と一緒で、僕は語るよりもやりたいほうなんですね。やっぱサッカーって面白いよねって言い続けたいんです」