昇格した時よりも劣る戦力でセリエAを戦わなければならない。
そもそも、後半戦に入ってもなお未勝利で最下位に低迷しているにもかかわらず、ここまで監督交代がないまま戦ってきたこと自体、毎年10チーム前後が監督の首をすげ替えるセリエAでは異例のこと。その背景には、幾つかの事情があった。
まず、ペスカーラというクラブ自体にセリエA定着を支えられるだけの体力がないことだ。
クラブ史上初めてセリエAで戦った77-78シーズン以来、これまで計6回セリエA昇格を経験しているが、残留を果たしたのはそのうちわずか1回(87-88シーズン)のみ。前回の昇格時(12-13シーズン)も含めて、それ以外の4回はいずれも1年で降格している。
その大きな理由は、財政的な制約から選手の多くを他チームからのレンタルに頼らざるを得ないことにある。
それゆえ、たとえ主戦場であるセリエBで良い結果を残して昇格を果たしたとしても、それを担った主力をレンタル元に返却せざるを得ず(買い取るほどの資金力がない)、継続性を持ったチーム強化が難しい。
今シーズンも、昨シーズンにセリエBで27得点を挙げて昇格の立役者となったFWジャンルカ・ラパドゥーラをミランに引き抜かれ、中盤を支えたルーカス・トレイラはサンプドリア、ロランド・マンドラゴーラはユベントスに、それぞれ返却しなければならなかった。
前回の昇格時に、インモービレ、インシーニェ、ヴェッラッティといった看板選手を手放さざるを得なかった時と同様、ペスカーラには、前年にセリエBを戦ったのと比べてもむしろ戦力が劣る状態でセリエAに臨まなければならないという事情があるのだ。
また、ペスカーラは伝統的に、常に攻撃的なスタイルで戦うことをクラブのアイデンティティーとしており、今シーズンも目先の結果に囚われることなく、チームをセリエAに昇格させたオッド監督の攻撃的なサッカーを貫くという方針をはっきりと打ち出してきたということもある。
このアイデンティティーが確立されたのは、80年代末から90年代初頭にかけて、当時としては異例とも言える攻撃的な4-3-3システムで2度のA昇格をもたらした、ジョバンニ・ガレオーネ監督の時代だ。
当時のチームでプレーした選手のなかには、マッシミリアーノ・アッレグリ(ユベントス)、ジャン・ピエロ・ガスペリーニ(アタランタ)、マルコ・ジャンパオロ(サンプドリア)と、現在、セリエAで指揮を執る3人の名将がいる。
いずれも、ガレオーネのサッカーから大きな影響を受けた門下生として、監督としてのキャリアを歩むことになった。
その後、ペスカーラは90年代から00年代にかけて長い低迷期を経験し、セリエC(3部リーグ)で戦っていた08年には、破産に追い込まれた。現在のクラブ運営会社「デルフィーノ・ペスカーラ1926」は、経営権を継承するため、地元財界の有力者が共同出資して設立したものだ。
その出資者の一員であるダニエレ・セバスティアーニ会長は、攻撃的なスタイルというクラブのアイデンティティーに最も敏感なひとりである。
会長に就任した11年、監督にゼーマンを招聘してセリエA昇格を勝ち取ると、その後も毎シーズン、ジョバンニ・ストロッパ、パスクアーレ・マリーノ、マルコ・バローニといった、攻撃志向の強い監督にチームを委ねてきた。
上記の3人は、いずれも成績不振を理由に途中解任という結果に終わっているが、それでも監督選びの方針にブレはない。
まず、ペスカーラというクラブ自体にセリエA定着を支えられるだけの体力がないことだ。
クラブ史上初めてセリエAで戦った77-78シーズン以来、これまで計6回セリエA昇格を経験しているが、残留を果たしたのはそのうちわずか1回(87-88シーズン)のみ。前回の昇格時(12-13シーズン)も含めて、それ以外の4回はいずれも1年で降格している。
その大きな理由は、財政的な制約から選手の多くを他チームからのレンタルに頼らざるを得ないことにある。
それゆえ、たとえ主戦場であるセリエBで良い結果を残して昇格を果たしたとしても、それを担った主力をレンタル元に返却せざるを得ず(買い取るほどの資金力がない)、継続性を持ったチーム強化が難しい。
今シーズンも、昨シーズンにセリエBで27得点を挙げて昇格の立役者となったFWジャンルカ・ラパドゥーラをミランに引き抜かれ、中盤を支えたルーカス・トレイラはサンプドリア、ロランド・マンドラゴーラはユベントスに、それぞれ返却しなければならなかった。
前回の昇格時に、インモービレ、インシーニェ、ヴェッラッティといった看板選手を手放さざるを得なかった時と同様、ペスカーラには、前年にセリエBを戦ったのと比べてもむしろ戦力が劣る状態でセリエAに臨まなければならないという事情があるのだ。
また、ペスカーラは伝統的に、常に攻撃的なスタイルで戦うことをクラブのアイデンティティーとしており、今シーズンも目先の結果に囚われることなく、チームをセリエAに昇格させたオッド監督の攻撃的なサッカーを貫くという方針をはっきりと打ち出してきたということもある。
このアイデンティティーが確立されたのは、80年代末から90年代初頭にかけて、当時としては異例とも言える攻撃的な4-3-3システムで2度のA昇格をもたらした、ジョバンニ・ガレオーネ監督の時代だ。
当時のチームでプレーした選手のなかには、マッシミリアーノ・アッレグリ(ユベントス)、ジャン・ピエロ・ガスペリーニ(アタランタ)、マルコ・ジャンパオロ(サンプドリア)と、現在、セリエAで指揮を執る3人の名将がいる。
いずれも、ガレオーネのサッカーから大きな影響を受けた門下生として、監督としてのキャリアを歩むことになった。
その後、ペスカーラは90年代から00年代にかけて長い低迷期を経験し、セリエC(3部リーグ)で戦っていた08年には、破産に追い込まれた。現在のクラブ運営会社「デルフィーノ・ペスカーラ1926」は、経営権を継承するため、地元財界の有力者が共同出資して設立したものだ。
その出資者の一員であるダニエレ・セバスティアーニ会長は、攻撃的なスタイルというクラブのアイデンティティーに最も敏感なひとりである。
会長に就任した11年、監督にゼーマンを招聘してセリエA昇格を勝ち取ると、その後も毎シーズン、ジョバンニ・ストロッパ、パスクアーレ・マリーノ、マルコ・バローニといった、攻撃志向の強い監督にチームを委ねてきた。
上記の3人は、いずれも成績不振を理由に途中解任という結果に終わっているが、それでも監督選びの方針にブレはない。