メキシコで行なわれたワールドユース(現U-20ワールドカップ)に出場した83年にA代表でもデビュー。当時のオランダは低迷期にあったが、ファン・バステン自身は順調に代表でのキャリアを重ねていった。
88年、初のメジャー大会である欧州選手権に出場。しかし大会前の合宿で、怪我で出遅れていた彼は、リヌス・ミケルス監督からサブ扱いをされたことに失望し、一度はチームを離れたものの、恩師クライフの励ましを受けてやる気を取り戻した。
そしてグループステージの2戦目、イングランド戦で初めてスタメンに名を連ねた彼は、44分に鮮やかな身のこなしとボール捌きから先制ゴールを決めると、後半にもゴールを重ねてハットトリックを達成する。
これでレギュラーポジションを奪回した彼は、準決勝の開催国・西ドイツ戦では終了間際に劇的な決勝ゴール、そして決勝では歴史に残るダイレクトボレーでソ連の名GKリナト・ダサエフの頭上を破り、大会得点王に輝くとともに、母国の欧州制覇の原動力となった。
大会前のサブプレーヤーは一躍、世界で最も注目を集める選手となり、ファン・バステンはこの年のバロンドールも受賞した。ちなみに彼は翌年も同賞を獲得。さらに92年にも3度目の欧州最優秀選手に輝いている。
こうして最高のメジャー大会デビューを果たした彼だが、優勝候補として期待された2年後のイタリア・ワールドカップでは、精彩を欠くプレーに終始し、チームもベスト16止まり。大会前の監督交代で、自らが望むクライフの就任が成らなかったことにより心を乱したという。
ディフェンディングチャンピオンとして臨んだEURO92では準決勝まで進出したが、最後は伏兵デンマークにPK戦の末に敗北。両チーム5人ずつが蹴り合い、唯一外したのが、2番手で登場したファン・バステンだった。
失意の大会を終えてミランに戻ったファン・バステン。92-93シーズンに突入した時、彼はまだ27歳だったが、これが選手としてピッチで躍動した最後のシーズンとなってしまう。慢性的な足首の怪我は悪化し、プレーどころか、日常生活にも支障をきたすほどになっていた。
マルセイユにショッキングな敗北を喫したチャンピオンズ・リーグ決勝を最後に、治療とリハビリの生活に入り、ミランも復活を信じてサポートし続けたが、95年にファン・バステンは引退を決意。サン・シーロで挨拶する彼の姿に、冷徹さで知られた当時の監督、ファビオ・カペッロも涙を流した。
30歳でユニホームを脱いだファン・バステンの第2の人生は、2003年に始まった。現役時代には「引退後に監督をやるという選択肢はない」と語っていたが、アヤックスのユースチームの指導を経て、04年にはオランダ代表監督に就任する。
選手起用においては、海外クラブ、そしてアヤックス、PSV、フェイエノールトの3強だけに限らず、AZから多くを招集するなど、柔軟な考えでチーム作りを行ない、EURO2004では準決勝までチームを導いた。
その後、06年のドイツW杯ではベスト16、EURO2008でベスト8という成績を残して代表監督の座を降り、以降はアヤックス、ヘーレンフェーン、AZを指揮し、15年からは再び代表チームに戻り、ダニー・ブリント監督のアシスタントを務めた。
ミランの監督就任の噂もたびたび流れたことがあるファン・バステンは現在、FIFAの技術部門のチーフオフィサーとして活動している。
選手としては、あまりに早く引退の時を迎えてしまったが、第2のキャリアにおける彼は、これからも長きにわたってサッカー界に貢献してくれそうだ。
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