期待させては裏切ってきた、憎らしくも愛らしい稀有な存在。

EURO2012の時(後ろ姿)のような輝きを再び放てるか!? 伸び伸びとプレーできる環境を得た「スーパーマリオ」が、選手として、人間として変化を見せられるかどうかに注目が集まる。 (C) Getty Images
ここまでのキャリアのピークを印したのもドッピエッタだ。イタリア代表の一員として出場したEURO2012の準決勝ドイツ戦、20分にヘディングで先制ゴールを決め、その15分後には、マヌエル・ノイアーが一歩も動けないほどの強烈なシュートを、ゴール右上に突き刺した。
その場でユニホームを脱ぎ捨てて筋骨隆々の身体を披露した仁王立ちポーズと、その時背中に貼られていた3本の青いキネシオテープには、傲岸不遜でありながら、どこかコミカルで憎みきれないそのキャラクターが凝縮されていた。
それからわずか半年後、恩師マンチーニに愛想を尽かされるかたちでシーズン途中に移籍したミランでは、デビュー戦でドッピエッタを決めると勢いに乗り、後半戦だけで13試合12得点(ドッピエッタ3回)という大活躍。ついにそのタレントが完全に覚醒したかという幻想を、人々に抱かせた。
しかし、彼が印象的な活躍を見せたのは、これが最後。続く13-14のミランは、マッシミリアーノ・アッレグリからクラレンス・セードルフへの監督交代などがあって8位に低迷。バロテッリも14ゴールを挙げたものの、総合的な貢献度は低く、翌夏にはリバプールへ売却された。
そしてその後の2シーズンでは、プレミア(リバプール)、セリエA(ミラン)で1ゴールずつと完全に表舞台から姿を消し、ピーク時(2012年夏・EURO直後)には3200万ユーロまで高騰した市場評価額も、その5分の1にも満たない600万ユーロまで低下してしまった。
今夏のメルカートでも、リバプールのユルゲン・クロップ監督からは、「名前すらも聞きたくない」と嫌われ、イタリアでも獲得に乗り出したのはキエーボ、パレルモという降格候補の弱小クラブのみだった。
移籍期限ギリギリでニースへの移籍が決まっていなければ、欧州で活躍の場を失い、中東か中国でキャリアの「余生」を過ごすという哀しい結末が待っていたかもしれない。
ところが、そのニースでのデビュー戦で「因縁の」と言いたくなるようなドッピエッタを決めて見せるのだから、バロテッリはやはり只者ではない。少なくとも、まだまだ「終わった選手」と言い切るのは早そうだ。
試合後のコメントも振るっている。
「ニースに来たのは、会長が、ここは若いチームで微笑みを取り戻すには最適だ、と言ってくれたから。ここ何年か、プレーする歓びを忘れてしまっていた。リバプールに行ったのは、キャリア最大の失敗だった。ミランにも戻るべきじゃなかった。どっちも雰囲気が最悪だった」
「今は、ニースに来て幸せだ。俺は今まで、まともにトレーニングに取り組んだことがなかったけれど、もう若くないことは分かっている。練習に取り組む姿勢も2年前の10パーセントから、80パーセントくらいまで上がってきた」
「今でも俺には、バロンドールを獲る力があると思っている。2~3年後には獲ってやるつもりだ」――
そのためにはまず、ニースでコンスタントな活躍を見せることが必要だが……。
文:片野 道郎
【著者プロフィール】
かたの・みちお/1962年生まれ、宮城県仙台市出身。1995年からイタリア北部のアレッサンドリアに在住し、翻訳家兼ジャーナリストとして精力的に活動中だ。カルチョを文化として捉え、その営みを巡ってのフィールドワークを継続発展させている。『ワールドサッカーダイジェスト』誌や当サイトでも、ロッシ監督とのコラボによる戦術解説や選手分析が好評を博す。
その場でユニホームを脱ぎ捨てて筋骨隆々の身体を披露した仁王立ちポーズと、その時背中に貼られていた3本の青いキネシオテープには、傲岸不遜でありながら、どこかコミカルで憎みきれないそのキャラクターが凝縮されていた。
それからわずか半年後、恩師マンチーニに愛想を尽かされるかたちでシーズン途中に移籍したミランでは、デビュー戦でドッピエッタを決めると勢いに乗り、後半戦だけで13試合12得点(ドッピエッタ3回)という大活躍。ついにそのタレントが完全に覚醒したかという幻想を、人々に抱かせた。
しかし、彼が印象的な活躍を見せたのは、これが最後。続く13-14のミランは、マッシミリアーノ・アッレグリからクラレンス・セードルフへの監督交代などがあって8位に低迷。バロテッリも14ゴールを挙げたものの、総合的な貢献度は低く、翌夏にはリバプールへ売却された。
そしてその後の2シーズンでは、プレミア(リバプール)、セリエA(ミラン)で1ゴールずつと完全に表舞台から姿を消し、ピーク時(2012年夏・EURO直後)には3200万ユーロまで高騰した市場評価額も、その5分の1にも満たない600万ユーロまで低下してしまった。
今夏のメルカートでも、リバプールのユルゲン・クロップ監督からは、「名前すらも聞きたくない」と嫌われ、イタリアでも獲得に乗り出したのはキエーボ、パレルモという降格候補の弱小クラブのみだった。
移籍期限ギリギリでニースへの移籍が決まっていなければ、欧州で活躍の場を失い、中東か中国でキャリアの「余生」を過ごすという哀しい結末が待っていたかもしれない。
ところが、そのニースでのデビュー戦で「因縁の」と言いたくなるようなドッピエッタを決めて見せるのだから、バロテッリはやはり只者ではない。少なくとも、まだまだ「終わった選手」と言い切るのは早そうだ。
試合後のコメントも振るっている。
「ニースに来たのは、会長が、ここは若いチームで微笑みを取り戻すには最適だ、と言ってくれたから。ここ何年か、プレーする歓びを忘れてしまっていた。リバプールに行ったのは、キャリア最大の失敗だった。ミランにも戻るべきじゃなかった。どっちも雰囲気が最悪だった」
「今は、ニースに来て幸せだ。俺は今まで、まともにトレーニングに取り組んだことがなかったけれど、もう若くないことは分かっている。練習に取り組む姿勢も2年前の10パーセントから、80パーセントくらいまで上がってきた」
「今でも俺には、バロンドールを獲る力があると思っている。2~3年後には獲ってやるつもりだ」――
そのためにはまず、ニースでコンスタントな活躍を見せることが必要だが……。
文:片野 道郎
【著者プロフィール】
かたの・みちお/1962年生まれ、宮城県仙台市出身。1995年からイタリア北部のアレッサンドリアに在住し、翻訳家兼ジャーナリストとして精力的に活動中だ。カルチョを文化として捉え、その営みを巡ってのフィールドワークを継続発展させている。『ワールドサッカーダイジェスト』誌や当サイトでも、ロッシ監督とのコラボによる戦術解説や選手分析が好評を博す。