後輩の日本代表GKから受けた刺激。「めちゃくちゃ影響を受けました」
渡辺英豊が2節の後半35分に負傷すると、控えの荒谷が念願のJリーグデビューを果たす。次節の横浜FC戦で先発し、サブを挟んで11試合でスタメン起用。だが夏に浦和から移籍してきた安藤智安に正GKの座を奪われると、またしても控えに回った。堅実なプレーが続かないことは自分でも分かっていた。
川島永嗣の台頭も脅威に感じたはず。だが荒谷は「むしろ彼の存在がパワーになった。サッカーにありったけの情熱を燃やし、食事は経験を聞くために先輩としか行かず、年上にも遠慮なく物申す。寮では独学でイタリア語の勉強ですよ。当時のJ2クラブであそこまで意識の高い選手は珍しかった。めちゃくちゃ影響を受けました」と否定する。
川島が守護神となった03年は3番手に降格。ベンチを6試合温めただけだが、このひとは腐らない。練習では強シュートを止め、鋭いクロスも捕球できるのに、試合になると緊張して不安定な動きになる要因を模索。徹底的に課題と向き合い、コーチや仲間に相談しながらポジション奪回へ向けて1年間学び直した。
川島が名古屋グランパスへ移籍した04年は、開幕から17節まで安藤が先発したが、故障で18節から荒谷にお鉢が回り、ここから最終戦まで27試合フル出場。奥野誠一郎、トニーニョの両CBとどう連携を取るか。「ここにフォーカスして練習に取り組んだことが実を結んだ」と述懐し、32節から最終戦まで3失点の堅牢で、破竹の13連勝。2試合を残して悲願のJ1昇格を果たした。
J1では05、06年ともリーグ戦31試合に先発。背番号が「1」に変わった07年も開幕から先発を続けたが、17節の横浜F・マリノス戦で左手首を骨折。以降はベンチにも入れず、リーグ戦全34試合で控えに甘んじた08年で契約が途切れた。
大宮からアカデミーのコーチ就任を打診されたが現役にこだわり、トライアウトを経てJ2コンサドーレ札幌へ移籍。翌年はJ2ヴァンフォーレ甲府でプレーし、J1に復帰した11年にリーグ戦13試合でゴールマウスを守り、18シーズンにおよびプロ生活に終止符を打った。
「今思うと04、05、06年が選手としてのピークでしたね。最後の年は6月の川崎戦も8月の浦和戦も、後半途中で左脚がつって交代。しっかり働けなくなったことが引退を決めた理由ですが、高卒で18年もプロをやれたことは幸せでした」
川島永嗣の台頭も脅威に感じたはず。だが荒谷は「むしろ彼の存在がパワーになった。サッカーにありったけの情熱を燃やし、食事は経験を聞くために先輩としか行かず、年上にも遠慮なく物申す。寮では独学でイタリア語の勉強ですよ。当時のJ2クラブであそこまで意識の高い選手は珍しかった。めちゃくちゃ影響を受けました」と否定する。
川島が守護神となった03年は3番手に降格。ベンチを6試合温めただけだが、このひとは腐らない。練習では強シュートを止め、鋭いクロスも捕球できるのに、試合になると緊張して不安定な動きになる要因を模索。徹底的に課題と向き合い、コーチや仲間に相談しながらポジション奪回へ向けて1年間学び直した。
川島が名古屋グランパスへ移籍した04年は、開幕から17節まで安藤が先発したが、故障で18節から荒谷にお鉢が回り、ここから最終戦まで27試合フル出場。奥野誠一郎、トニーニョの両CBとどう連携を取るか。「ここにフォーカスして練習に取り組んだことが実を結んだ」と述懐し、32節から最終戦まで3失点の堅牢で、破竹の13連勝。2試合を残して悲願のJ1昇格を果たした。
J1では05、06年ともリーグ戦31試合に先発。背番号が「1」に変わった07年も開幕から先発を続けたが、17節の横浜F・マリノス戦で左手首を骨折。以降はベンチにも入れず、リーグ戦全34試合で控えに甘んじた08年で契約が途切れた。
大宮からアカデミーのコーチ就任を打診されたが現役にこだわり、トライアウトを経てJ2コンサドーレ札幌へ移籍。翌年はJ2ヴァンフォーレ甲府でプレーし、J1に復帰した11年にリーグ戦13試合でゴールマウスを守り、18シーズンにおよびプロ生活に終止符を打った。
「今思うと04、05、06年が選手としてのピークでしたね。最後の年は6月の川崎戦も8月の浦和戦も、後半途中で左脚がつって交代。しっかり働けなくなったことが引退を決めた理由ですが、高卒で18年もプロをやれたことは幸せでした」
特別な試合を挙げてもらうと、05年度の浦和戦とガンバ大阪戦だった。
浦和に2-1で勝ったリーグ戦は、「5万人を超える観衆のなか、プロを始めたチームを倒した喜びは格別でした。自分の出来もすごく良かった」。2-2から延長で敗れた浦和との天皇杯準決勝を語り出すと「もっと粘り強く戦ってPK戦に持ち込みたかった。悔しかった」と残念がる。
忘れられないJ1デビューがG大阪との開幕戦だし、好守を連発して「生涯のベストパフォーマンス」と自賛する32節は、「残留を決めた試合でもあり、優勝したガンバに連勝したのは大宮と千葉だけでしたからね」と喜色満面の表情を浮かべた。
浦和に2-1で勝ったリーグ戦は、「5万人を超える観衆のなか、プロを始めたチームを倒した喜びは格別でした。自分の出来もすごく良かった」。2-2から延長で敗れた浦和との天皇杯準決勝を語り出すと「もっと粘り強く戦ってPK戦に持ち込みたかった。悔しかった」と残念がる。
忘れられないJ1デビューがG大阪との開幕戦だし、好守を連発して「生涯のベストパフォーマンス」と自賛する32節は、「残留を決めた試合でもあり、優勝したガンバに連勝したのは大宮と千葉だけでしたからね」と喜色満面の表情を浮かべた。