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【師弟スペシャル対談2】関塚隆×中村憲剛。監督をやるなら“組閣”も大事?「指揮官はひとりじゃできない」

カテゴリ:Jリーグ

本田健介(サッカーダイジェスト)

2024年08月29日

「ケンゴなら大丈夫」(関塚)

2004年には関塚監督の就任1年目で川崎はJ1昇格を達成。中村も大きく貢献した。(C)SOCCER DIGEST

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――そういったチームの作り方は指導者としてひとつの指標になりそうですね。
 
中村 前年は3位であと一歩で昇格を逃していたチームの監督に就任するって難易度が結構高かったと思うんです。これから伸びるであろう若い選手も多かったですし、プレッシャーはかなりあったのかなと。
 
関塚 プレッシャーはあったし、鹿島で10年、日本人としてコーチをやらせてもらい、その指導者が、監督に挑むなかで、ガッカリされたくなかった。アントラーズのコーチっていうプライドもあったから、なんとかしたいという気持ちは強かったよ。
 
中村 その時、どれくらい先まで見ているものだったんですか? 監督って実現すべき目標とそのためのスパンを常に想定しているのかなと。
 
関塚 そうだね、監督はそのあたりも大事だと思う。自分が当時、求められたのは、とにかく昇格してくれっていうことと、J1に定着し、そこで上位を狙えるチームにしてほしいということ。それが武田信平さん(川崎の元社長)からのオファーだった。だからケンゴは近いうちに監督をスタートすると思うけど、監督のオファーを受けるなら、まずどこの立ち位置からスタートして、クラブから何を求められているのか、そこは明確にすべきだと思うね。
 
中村 恐らくですが、セキさんも就任1年目からもっとやりたいことはあったと思うんです。だけど、融合っていう言葉が相応しいか分かりませんが、今話されたようにクラブからのオーダーやクラブのスタイルと、目の前の現実を、上手くマッチさせる作業にも力を注いでいたのかなと。それにセキさんは全部こうしろみたいな言い方はせず、それぞれの個性も活かしながら、それでもセキさんの色もちょっとずつ出していきましたよね。こうやってチームって変わっていくんだと、僕はすごく学びになりました。
 
関塚 アントラーズでの話をすると、ブラジル人の指導者でも、ジーコを始め、トニーニョ・セレーゾらはイタリアでもプレーし、そのエッセンスを加えていた。だから戦術的な部分と、個人の技量を上手く融合させたような、個性を活かしたチーム作りをしていて、それがアントラーズのひとつのストロングであった。自分はそこで指導者としてやらせてもらってきたから、ケンゴがそう感じたのも理解できるよね。

 鹿島では鈴木満さんが強化をずっと進めて、外国人選手に頼るのではなく、やっぱりJリーグなんだから日本代表選手をクラブとして生み出すんだっていう基本路線もあった。だからフロンターレにいって、ケンゴや我那覇らポテンシャルのある、代表に入っていけるような選手が揃っていたのは楽しみだったよね。それで、クラブとしても高いステージを目指すなかで、トレーニングと試合が上手くつながっていったと思う。
中村 これは言い方があれですが、チームがしっかり進むためには、監督が上手く立ち回らないと、ダメですよね。そこにはコーチングスタッフとのリレーションもそうですし、全体のバランスを考えながら。当時の川崎にはコーチにツトさん(高畠勉)、キーパーコーチにマサさん(古川昌明)、フィジカルコーチにマルセロらがいて、役割分担がしっかりしていた記憶があります。監督のセキさんが全てをやるっていうよりも、練習でもセキさんがやるパート、ツトさんがやるパート、マルセロがやるパートみたいにちゃんと分かれていた。コミュニケーションを取ったうえで、フィジカルはほぼマルセロに任せていましたよね?
 
関塚 そうそう。
 
中村 コーチングスタッフとのリレーションの重要性は指導者講習会で深く学びました。やっぱり監督ってひとりじゃできないなと。
 
関塚 まさにそうだね。
 
中村 いかにコーチングスタッフの方たちと考えを共有し、チームを作っていくかですよね。だから今思い返すと、セキさんとツトさんは少しタイプが違いましたが、当時の川崎はそういう点でもバランスが良かったなと。
 
関塚 ツトは最初はあまり意見を言わずに、俺が伝えたことをキッチリやってくれていたんだけど、その後、どんどん良いパス交換ができるようになったのを覚えているね。それに今ケンゴが言ったように、やっぱり監督はひとりではできないし、それぞれしっかりコミュニケーションを取って、各スタッフに責任を持ってやってもらうようにすることが大事だよね。

 俺が鹿島でコーチをしていた時も、怪我上がりのジョルジーニョや、出場停止のレオナルドらを、トレーニングさせる時は、緊張感があったけど、責任を持ってやるようにと言われていたし、こちらが全力で臨めば、彼らも100パーセントで応えてくれた。そういう積み重ねが、監督をやる時に生きてくる。だから、監督をやっている時も、ひとつのセッションをコーチに任せるのは、そのコーチのやりがいや将来につながると考えていたね。でも大丈夫だよ、ケンゴは、その辺全部分かっているはずだから。
 
中村 そう言っていただけるのはありがたいのですが、実際にやってみないと分からないことも多そうなので...。
 
パート3に続く。

■プロフィール
関塚 隆 せきづか・たかし/1960年10月26日、千葉県生まれ。現役時代は本田技研でFWとしてプレーし、引退後は鹿島でのコーチなどを経て、2004年からは川崎を率い、魅力的なサッカーを展開。その後はロンドン五輪代表、千葉、磐田でも監督を務め、昨年7月から福島のテクニカルダイレクターに就任。
 
中村憲剛 なかむら・けんご/1980年10月31日、東京都生まれ。川崎一筋、バンディエラとしてのキャリアを築き、2020年シーズン限りで現役を引退。その後はフロンターレ・リレーションズ・オーガナイザー(FRO)、Jリーグ特任理事など様々な角度からサッカー界に関わり、指導現場で多くを学んでいる。

取材・文●本田健介(サッカーダイジェスト編集部)

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