序盤はベンチを温めるも、不可欠な存在となった長友と酒井高。
DF
長友 祐都
インテル(イタリア)
22試合・0得点・0アシスト
○よくできました
開幕時点では、戦力として計算されていたとはいえ、その位置づけは明らかに控えという扱いだった。
残り1年を切った契約が更新されないままになっていたのも、クラブとロベルト・マンチーニ監督の評価が、今シーズンのパフォーマンス次第というペンディングの状態になっていたからだろう。
実際、開幕からの2か月間では、ほとんどの時間をベンチで過ごすことになった。しかし秋の深まりとともに出場機会を手に入れると、チームの戦術的要請に合わせて左右のSBをこなす。
最大の武器である豊富な運動量と、最後まで落ちないスピードを活かした献身的な攻撃参加、そして年齢を重ねるにつれて読みと判断力の質が高まり安定度を増したディフェンスによって、いつのまにかチームに欠かせない存在になっていた。
終わってみれば22試合でピッチに立ち、そのうち15試合にフル出場、SB陣のなかでは最も長い出場時間(1649分)を記録している。これ自体は、イタリアで過ごした6シーズンのなかでは、故障でシーズンの大半を棒に振った昨シーズンに次いで少ない数字だ。
しかし、控えとしてスタートしながら、自らのプレーを通して監督の評価と信頼を勝ち取ってレギュラーに返り咲き、契約延長も果たした今シーズンは、総合的に見れば△ではなく○と評価できると思う。
何しろ今や長友は、育成部門で育ち、レンタル移籍による出入りを繰り返した末にインテルに戻ってきたジョナタン・ビアビアニーを除けば、チームで最も在籍年数が長い最古参なのだ。(片野道郎)
長友 祐都
インテル(イタリア)
22試合・0得点・0アシスト
○よくできました
開幕時点では、戦力として計算されていたとはいえ、その位置づけは明らかに控えという扱いだった。
残り1年を切った契約が更新されないままになっていたのも、クラブとロベルト・マンチーニ監督の評価が、今シーズンのパフォーマンス次第というペンディングの状態になっていたからだろう。
実際、開幕からの2か月間では、ほとんどの時間をベンチで過ごすことになった。しかし秋の深まりとともに出場機会を手に入れると、チームの戦術的要請に合わせて左右のSBをこなす。
最大の武器である豊富な運動量と、最後まで落ちないスピードを活かした献身的な攻撃参加、そして年齢を重ねるにつれて読みと判断力の質が高まり安定度を増したディフェンスによって、いつのまにかチームに欠かせない存在になっていた。
終わってみれば22試合でピッチに立ち、そのうち15試合にフル出場、SB陣のなかでは最も長い出場時間(1649分)を記録している。これ自体は、イタリアで過ごした6シーズンのなかでは、故障でシーズンの大半を棒に振った昨シーズンに次いで少ない数字だ。
しかし、控えとしてスタートしながら、自らのプレーを通して監督の評価と信頼を勝ち取ってレギュラーに返り咲き、契約延長も果たした今シーズンは、総合的に見れば△ではなく○と評価できると思う。
何しろ今や長友は、育成部門で育ち、レンタル移籍による出入りを繰り返した末にインテルに戻ってきたジョナタン・ビアビアニーを除けば、チームで最も在籍年数が長い最古参なのだ。(片野道郎)

序盤は長くベンチで過ごす時間が続いたが、ピッチに立ってからは一気に評価を上げた。ちなみにキッカー誌の平均採点は3.91(採点は1~6で数値が小さいほど高評価、4が及第点)。 (C) Getty Images
DF
酒井 高徳
ハンブルク(ドイツ)
22試合・0得点・1アシスト
○よくできました
加入直後は苦しんだ。DFBカップ初戦で4部クラブのアタッカーの対応に手を焼き、開幕直前にSBのバックアッパーに転落してしまった。
しかし、シュツットガルト時代からの恩師であるブルーノ・ラッバディア監督とエディ・セゼル・コーチの下で、精力的にトレーニングをこなし、8節のヘルタ・ベルリン戦で新天地でのリーグ戦デビューを飾る。
13節のドルトムント戦では、課題だった守備力の向上を感じさせる好パフォーマンスを披露。マルコ・ロイスやピエール=エメリク・オーバメヤンとの1対1で後れを取らず、チームの勝利に大きく貢献した。
左右両足を駆使した得意のビルドアップも冴えを見せ、SBながら攻撃の起点として機能した点も見逃せない。
20節以降は15試合連続でスタメンに名を連ねるなど、移籍1年目を良いかたちで締め括った印象だ。
ラッバディア監督は、シュツットガルト時代に苦楽を共にした日本人指導者の河岸貴氏にこう漏らしているという。「ゴウ(酒井)は2年後、ワールドクラスのディフェンダーになっているよ」――。(遠藤孝輔)
酒井 高徳
ハンブルク(ドイツ)
22試合・0得点・1アシスト
○よくできました
加入直後は苦しんだ。DFBカップ初戦で4部クラブのアタッカーの対応に手を焼き、開幕直前にSBのバックアッパーに転落してしまった。
しかし、シュツットガルト時代からの恩師であるブルーノ・ラッバディア監督とエディ・セゼル・コーチの下で、精力的にトレーニングをこなし、8節のヘルタ・ベルリン戦で新天地でのリーグ戦デビューを飾る。
13節のドルトムント戦では、課題だった守備力の向上を感じさせる好パフォーマンスを披露。マルコ・ロイスやピエール=エメリク・オーバメヤンとの1対1で後れを取らず、チームの勝利に大きく貢献した。
左右両足を駆使した得意のビルドアップも冴えを見せ、SBながら攻撃の起点として機能した点も見逃せない。
20節以降は15試合連続でスタメンに名を連ねるなど、移籍1年目を良いかたちで締め括った印象だ。
ラッバディア監督は、シュツットガルト時代に苦楽を共にした日本人指導者の河岸貴氏にこう漏らしているという。「ゴウ(酒井)は2年後、ワールドクラスのディフェンダーになっているよ」――。(遠藤孝輔)