組織の一部ではなく、チームの王様としてプレーできるか。
その後、ユベントスからミランへ移籍したR・バッジョ(ミランでの在籍期間は95~97年)は、オスカル・ワシントン・タバレス、サッキ、ファビオ・カペッロと指揮官3人に冷遇されていく。
タバレスが「現代サッカーに詩人のポストは存在しない」と言えば、タバレスの後任サッキは「ひとりの選手を特別扱いできない。わたしは組織の一員としてプレーできる選手を起用する」とコメント。そしてカペッロからは戦力外通告に近いメッセージを受け取った。
そんなR・バッジョが華麗に復活を遂げるのが、ボローニャ時代。97年7月にこのプロビンチャ(地方クラブ)に移籍した彼は、97-98シーズンのセリエAで30試合に出場して22ゴールを決めたのだ。
組織の一部ではなく、チームの王様としてプレーできたところに復活の鍵があった。98年~2000年まで在籍した“スター軍団”インテルであまり輝けず(活躍した試合はなかにはあったが)、200年~04年まで在籍したマイナークラブのブレッシャで毎シーズン二桁得点をマークしたのも、おそらく偶然ではないだろう。
R・バッジョの系譜──ファンタジスタの素質を備える鎌田も、特別な才能を持っているが故の困難にこれからぶち当たる可能性はある。
FC東京の一戦、冒頭で述べた“後半のアウトサイドパス”は実を言うと受け手の反応が遅かった。パスが通らなかった後、鎌田は「なぜ通らない」というような感じで頭を抱えていた。
確かなのは、受け手が鎌田の感覚を感じ取っていれば十分にチャンスにつながるシーンだった。鎌田がもっと丁寧なパスを出せば良かったか、それとも受け手の対応が悪かったのかは、意見が分かれるところだろう。
ただいずれにしても、鎌田には「ファンタジスタとしての道」を突き進んでほしい。見ていて楽しいプレーヤーこそ、Jリーグ人気回復の鍵になるからだ。
もちろん、冷遇されないための術を身に付けられたらベストだ。しかしだからといって、そこを意識し過ぎて小さくまとまるのはナンセンスである。
たとえこれからどんな困難にぶつかろうとも、鎌田には創造性豊かなプレーを貫き通してもらいたい。何度も壁にぶつかりながら信念を曲げずに、世界中の人々に愛され続けたR・バッジョのように。
取材・文:白鳥和洋(サッカーダイジェスト編集部)
タバレスが「現代サッカーに詩人のポストは存在しない」と言えば、タバレスの後任サッキは「ひとりの選手を特別扱いできない。わたしは組織の一員としてプレーできる選手を起用する」とコメント。そしてカペッロからは戦力外通告に近いメッセージを受け取った。
そんなR・バッジョが華麗に復活を遂げるのが、ボローニャ時代。97年7月にこのプロビンチャ(地方クラブ)に移籍した彼は、97-98シーズンのセリエAで30試合に出場して22ゴールを決めたのだ。
組織の一部ではなく、チームの王様としてプレーできたところに復活の鍵があった。98年~2000年まで在籍した“スター軍団”インテルであまり輝けず(活躍した試合はなかにはあったが)、200年~04年まで在籍したマイナークラブのブレッシャで毎シーズン二桁得点をマークしたのも、おそらく偶然ではないだろう。
R・バッジョの系譜──ファンタジスタの素質を備える鎌田も、特別な才能を持っているが故の困難にこれからぶち当たる可能性はある。
FC東京の一戦、冒頭で述べた“後半のアウトサイドパス”は実を言うと受け手の反応が遅かった。パスが通らなかった後、鎌田は「なぜ通らない」というような感じで頭を抱えていた。
確かなのは、受け手が鎌田の感覚を感じ取っていれば十分にチャンスにつながるシーンだった。鎌田がもっと丁寧なパスを出せば良かったか、それとも受け手の対応が悪かったのかは、意見が分かれるところだろう。
ただいずれにしても、鎌田には「ファンタジスタとしての道」を突き進んでほしい。見ていて楽しいプレーヤーこそ、Jリーグ人気回復の鍵になるからだ。
もちろん、冷遇されないための術を身に付けられたらベストだ。しかしだからといって、そこを意識し過ぎて小さくまとまるのはナンセンスである。
たとえこれからどんな困難にぶつかろうとも、鎌田には創造性豊かなプレーを貫き通してもらいたい。何度も壁にぶつかりながら信念を曲げずに、世界中の人々に愛され続けたR・バッジョのように。
取材・文:白鳥和洋(サッカーダイジェスト編集部)