日本サッカーの未来に不安を与えているU-20W杯の連続敗退。

バルセロナ行きを逃してうなだれる名波浩(右)と澤登正朗(左)。このチームには他にも、下川健一、相馬直樹、名良橋晃、藤田俊哉、三浦文丈ら、JリーグやA代表で活躍する選手が多く名を連ねていた。 (C) SOCCER DIGEST
◆オリンピック
1992年バルセロナ大会予選
Jリーグ以前の最後の五輪予選。日本代表の歴史のなかで唯一赤いユニホームを採用した時代で、後にJリーグやA代表で活躍することになる選手を多く擁していたが、戦前の予想は厳しいもので、実際にそれは的中することとなった。
1次予選を突破した日本がマレーシア・クアラルンプールで対峙したのは、韓国、中国、カタール、クウェート、バーレーンという、いずれも強力な相手。上位3チームにバルセロナ行きのチケットが与えられる決戦は、総当たり方式で行なわれた。
力が劣るといわれるバーレーンに勝って、あとの4試合は引き分けで出場権獲得を狙うのでは? と戦前に皮肉られるほど、日本はチームとしての熟成度が低く、初戦は中国に対して7人の選手を守備に回す秘策で対抗したが、序盤の先制点を守れず1-2で敗れ、早くも黄信号が灯った。
2戦目はクウェートに追いつかれて引き分け(1-1)、バーレーンには6-1と大勝を収めたが、韓国には粘りに粘るも、残り2分で決勝ゴールを奪われて自力での予選突破が消滅。勝利が絶対条件の最終カタール戦でも0-1と力尽き、銅メダルを獲得した68年以来の五輪の舞台は視界から消えた。
予選後は日本サッカー協会の不可解な人事や、育成の問題などが盛んに取り沙汰されたが、端境期にあった日本サッカーがここで多くの貴重な教訓を得たのは事実であり、この後のアトランタ五輪から今夏開催のリオデジャネイロ五輪まで、全ての大会で大舞台に立つことに成功している。
◆U-20ワールドカップ
2015年ニュージーランド大会予選
(2014年AFC・U-19選手権)
※2009年から4大会連続敗退
1979年に自国で開催された第2回大会以降、予選敗退を繰り返した日本が再びユース最高の舞台に復帰したのは95年。そこから2大会連続でベスト8入りし、フィリップ・トルシエ率いる「黄金世代」が出場した99年には、ついに決勝進出を果たした(準優勝)。
その後の4大会でも、最高成績ベスト8と、本大会で上々の結果を出し続けた日本。しかし、2009年大会出場を懸けた前年のAFC・U-19選手権、香川真司、柿谷曜一朗、永井謙佑らを擁した日本は準々決勝で韓国に敗れ(0-3)、出場権を与えられる4強入りを逃した。
以降も各大会で有能な選手を擁しながら(2011年:宇佐美貴史、酒井高徳、遠藤航ら、2013年:久保裕也、遠藤航、岩波拓也ら、2015年:南野拓実、関根貴大ら)、いずれも準々決勝で敗退を喫している。
若いスター候補にとっての登竜門ともいわれる大会での成績は、日本サッカーの育成状況を計るバロメーターという見方がなされており、現状を危険視する向きは、時とともに強まる一方である。
◆U-17ワールドカップ
2015年チリ大会予選
(2014年AFC・U-16選手権)
ワールドユース(U-20ワールドカップの旧称)同様、日本の初出場は自国開催によるものだった。不参加や予選敗退で本大会行きはならなかった最初の4大会を経て、93年にホストカントリーとしてベスト8の好成績を残した。
その後の8大会では、予選敗退(4回)、もしくは本大会でのグループリーグ敗退(4回)という成績が続いたが、2011年にベスト8、続く13年にベスト16へ進出してみせた。
しかし14年のAFC・U-16選手権では、オーストラリア、中国、香港とのグループリーグを2位通過したものの、準々決勝で韓国に0-2と敗北。4強に入ることができず、3大会ぶりとなる予選敗退を喫した。
1992年バルセロナ大会予選
Jリーグ以前の最後の五輪予選。日本代表の歴史のなかで唯一赤いユニホームを採用した時代で、後にJリーグやA代表で活躍することになる選手を多く擁していたが、戦前の予想は厳しいもので、実際にそれは的中することとなった。
1次予選を突破した日本がマレーシア・クアラルンプールで対峙したのは、韓国、中国、カタール、クウェート、バーレーンという、いずれも強力な相手。上位3チームにバルセロナ行きのチケットが与えられる決戦は、総当たり方式で行なわれた。
力が劣るといわれるバーレーンに勝って、あとの4試合は引き分けで出場権獲得を狙うのでは? と戦前に皮肉られるほど、日本はチームとしての熟成度が低く、初戦は中国に対して7人の選手を守備に回す秘策で対抗したが、序盤の先制点を守れず1-2で敗れ、早くも黄信号が灯った。
2戦目はクウェートに追いつかれて引き分け(1-1)、バーレーンには6-1と大勝を収めたが、韓国には粘りに粘るも、残り2分で決勝ゴールを奪われて自力での予選突破が消滅。勝利が絶対条件の最終カタール戦でも0-1と力尽き、銅メダルを獲得した68年以来の五輪の舞台は視界から消えた。
予選後は日本サッカー協会の不可解な人事や、育成の問題などが盛んに取り沙汰されたが、端境期にあった日本サッカーがここで多くの貴重な教訓を得たのは事実であり、この後のアトランタ五輪から今夏開催のリオデジャネイロ五輪まで、全ての大会で大舞台に立つことに成功している。
◆U-20ワールドカップ
2015年ニュージーランド大会予選
(2014年AFC・U-19選手権)
※2009年から4大会連続敗退
1979年に自国で開催された第2回大会以降、予選敗退を繰り返した日本が再びユース最高の舞台に復帰したのは95年。そこから2大会連続でベスト8入りし、フィリップ・トルシエ率いる「黄金世代」が出場した99年には、ついに決勝進出を果たした(準優勝)。
その後の4大会でも、最高成績ベスト8と、本大会で上々の結果を出し続けた日本。しかし、2009年大会出場を懸けた前年のAFC・U-19選手権、香川真司、柿谷曜一朗、永井謙佑らを擁した日本は準々決勝で韓国に敗れ(0-3)、出場権を与えられる4強入りを逃した。
以降も各大会で有能な選手を擁しながら(2011年:宇佐美貴史、酒井高徳、遠藤航ら、2013年:久保裕也、遠藤航、岩波拓也ら、2015年:南野拓実、関根貴大ら)、いずれも準々決勝で敗退を喫している。
若いスター候補にとっての登竜門ともいわれる大会での成績は、日本サッカーの育成状況を計るバロメーターという見方がなされており、現状を危険視する向きは、時とともに強まる一方である。
◆U-17ワールドカップ
2015年チリ大会予選
(2014年AFC・U-16選手権)
ワールドユース(U-20ワールドカップの旧称)同様、日本の初出場は自国開催によるものだった。不参加や予選敗退で本大会行きはならなかった最初の4大会を経て、93年にホストカントリーとしてベスト8の好成績を残した。
その後の8大会では、予選敗退(4回)、もしくは本大会でのグループリーグ敗退(4回)という成績が続いたが、2011年にベスト8、続く13年にベスト16へ進出してみせた。
しかし14年のAFC・U-16選手権では、オーストラリア、中国、香港とのグループリーグを2位通過したものの、準々決勝で韓国に0-2と敗北。4強に入ることができず、3大会ぶりとなる予選敗退を喫した。