長時間の低酸素状態がどれくらい体への負担を与えるか
我々のことについて話す前に、日本代表の久保建英選手の言葉に触れたいと思います。彼が口にした通り、代表選手というのは日々ハードな戦いを強いられています。
私もセルビア代表コーチ就任後は欧州と日本を何度も往復していますが、8時間前後の時差に適応させるには1週間以上要します。何度も夜中にトイレに起きてしまうし、寝ていても身体の芯の部分が上手く休み切れていない状態。急に眠気が襲ってきたりもします。
そして国際Aマッチウイークで日本に戻ってきた欧州リーグ所属選手は、適応してきたタイミングに再び欧州に戻らなければなりません。さらに低酸素状態の機内で10時間以上の移動。例えば酸素カプセルは30分でも効果があると言われますが、その逆です。長時間の低酸素状態がどれくらい体への負担を与えるか。特にアスリートにとっては致命傷にもなりかねません。地理学的に難しい問題ですが、これを繰り返す選手たちにとっては大きな負担になっていると感じます。
私もセルビア代表コーチ就任後は欧州と日本を何度も往復していますが、8時間前後の時差に適応させるには1週間以上要します。何度も夜中にトイレに起きてしまうし、寝ていても身体の芯の部分が上手く休み切れていない状態。急に眠気が襲ってきたりもします。
そして国際Aマッチウイークで日本に戻ってきた欧州リーグ所属選手は、適応してきたタイミングに再び欧州に戻らなければなりません。さらに低酸素状態の機内で10時間以上の移動。例えば酸素カプセルは30分でも効果があると言われますが、その逆です。長時間の低酸素状態がどれくらい体への負担を与えるか。特にアスリートにとっては致命傷にもなりかねません。地理学的に難しい問題ですが、これを繰り返す選手たちにとっては大きな負担になっていると感じます。
セルビア代表も同様です。11月の国際Aマッチは親善試合ベルギー戦、その後にブルガリア戦が予定されています。まず12日に集合。13日にベルギーへ移動し、2日後の15日に親善試合。そして、その日のうちにセルビアへ戻ってきて、翌日の夕方に練習。その次の17日にバスで3、4時間かけてピクシーの故郷でもあるニシュへ行って試合を行なう行程です。
移動距離は日本と欧州ほどではないですが、それでもバス移動による身体への負担は懸念材料。概ね1か月の出場時間は450分を目安にしているのですが、それを大幅に超える選手も多いため、コンディション管理は細心の注意を払わないといけません。
各クラブから練習メニューをもらったり、こちらの練習メニューを渡したりするなど互いに密なコミュニケーションを取ることが重要。なんとか乗り切って来年のEURO本大会出場を決めてきたいと思います。
――◆――◆――
PROFILE
喜熨斗勝史
きのし・かつひと/1964年10月6日生まれ、東京都出身。日本体育大卒業後に教員を経て、東京大学大学院に入学した勤勉家。プロキャリアはないが関東社会人リーグでプレーした経験がある。東京都高体連の地区選抜のコーチや監督を歴任したのち、1995年にベルマーレ平塚でプロの指導者キャリアをスタート。その後は様々なクラブでコーチやフィジカルコーチを歴任し、2004年からは三浦知良とパーソナルトレーナー契約を結んだ。08年に名古屋のフィジカルコーチに就任。ストイコビッチ監督の右腕として10年にはクラブ初のリーグ優勝に貢献した。その後は“ピクシー”が広州富力(中国)の指揮官に就任した15年夏には、ヘッドコーチとして入閣するなど、計11年半ほどストイコビッチ監督を支え続けている。
指導歴
95年6月~96年:平塚ユースフィジカルコーチ
97年~99年:平塚フィジカルコーチ
99年~02年:C大阪フィジカルコーチ
02年:浦和フィジカルコーチ
03年:大宮フィジカルコーチ
04年:尚美学園大ヘッドコーチ/東京YMCA社会体育保育専門学校監督/三浦知良パーソナルコーチ
05年:横浜FCコーチ
06年~08年:横浜FCフィジカルコーチ(チーフフィジカルディレクター)
08年~14年:名古屋フィジカルコーチ
14年~15年8月:名古屋コーチ
15年8月~:広州富力トップチームコーチ兼ユースアカデミーテクニカルディレクター
19年11月~12月:広州富力トップチーム監督代行
21年3月~: セルビア代表アシスタントコーチ
移動距離は日本と欧州ほどではないですが、それでもバス移動による身体への負担は懸念材料。概ね1か月の出場時間は450分を目安にしているのですが、それを大幅に超える選手も多いため、コンディション管理は細心の注意を払わないといけません。
各クラブから練習メニューをもらったり、こちらの練習メニューを渡したりするなど互いに密なコミュニケーションを取ることが重要。なんとか乗り切って来年のEURO本大会出場を決めてきたいと思います。
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PROFILE
喜熨斗勝史
きのし・かつひと/1964年10月6日生まれ、東京都出身。日本体育大卒業後に教員を経て、東京大学大学院に入学した勤勉家。プロキャリアはないが関東社会人リーグでプレーした経験がある。東京都高体連の地区選抜のコーチや監督を歴任したのち、1995年にベルマーレ平塚でプロの指導者キャリアをスタート。その後は様々なクラブでコーチやフィジカルコーチを歴任し、2004年からは三浦知良とパーソナルトレーナー契約を結んだ。08年に名古屋のフィジカルコーチに就任。ストイコビッチ監督の右腕として10年にはクラブ初のリーグ優勝に貢献した。その後は“ピクシー”が広州富力(中国)の指揮官に就任した15年夏には、ヘッドコーチとして入閣するなど、計11年半ほどストイコビッチ監督を支え続けている。
指導歴
95年6月~96年:平塚ユースフィジカルコーチ
97年~99年:平塚フィジカルコーチ
99年~02年:C大阪フィジカルコーチ
02年:浦和フィジカルコーチ
03年:大宮フィジカルコーチ
04年:尚美学園大ヘッドコーチ/東京YMCA社会体育保育専門学校監督/三浦知良パーソナルコーチ
05年:横浜FCコーチ
06年~08年:横浜FCフィジカルコーチ(チーフフィジカルディレクター)
08年~14年:名古屋フィジカルコーチ
14年~15年8月:名古屋コーチ
15年8月~:広州富力トップチームコーチ兼ユースアカデミーテクニカルディレクター
19年11月~12月:広州富力トップチーム監督代行
21年3月~: セルビア代表アシスタントコーチ