減給の要請を突っぱねて…
開幕戦のスタメンに名を連ね、トゥーレ・ヤヤと組んだセントラルMFでフル出場を果たして勝利に貢献と、シティでのスタートは申し分なかった。ところが、10月になってハムストリングを痛め、約3か月という長期間の離脱を余儀なくされる。結局、1年目は公式戦を通じて15試合の出場にとどまった。振り返ってみれば、この怪我が結果的にキャリアを狂わせる致命傷となってしまった。
2年目は足の不安を抱えながら、ロベルト・マンチーニからマヌエル・ペレグリーニへの監督交代、フェルナンジーニョという強力なライバルの加入もあって完全に脇役に追いやられてしまう。プレミアリーグの5試合に出場してギリギリ条件を満たし、リーグ制覇を果たしたチームの一員として優勝メダルを受け取ったものの、勝利の実感などなかった。
もうシティに居場所はなかった。このシーズン後に決まったのがサンダーランドへの移籍だった。それでも、移籍金は1000万ポンド、週給7万ポンドの5年契約と、サンダーランドには大きな期待を寄せられた。もちろん、本人も捲土重来を期していた。
しかし、一度軌道を外れたキャリアを元に戻すのは難しかった。サンダーランドでも怪我に悩まされ本領を発揮できないまま、表舞台への復帰をさらに遠ざける決定的な出来事が起こる。3年目を終えたシーズンオフだった。サンダーランドは2部に降格し、予算削減を強いられたクラブから契約の見直しを求められる。減給の要請だった。これを突っぱねた。本人にしてみれば、到底受け入れられない話だった。クラブも大事だが、それよりも養うべき家族が大切だった。
2年目は足の不安を抱えながら、ロベルト・マンチーニからマヌエル・ペレグリーニへの監督交代、フェルナンジーニョという強力なライバルの加入もあって完全に脇役に追いやられてしまう。プレミアリーグの5試合に出場してギリギリ条件を満たし、リーグ制覇を果たしたチームの一員として優勝メダルを受け取ったものの、勝利の実感などなかった。
もうシティに居場所はなかった。このシーズン後に決まったのがサンダーランドへの移籍だった。それでも、移籍金は1000万ポンド、週給7万ポンドの5年契約と、サンダーランドには大きな期待を寄せられた。もちろん、本人も捲土重来を期していた。
しかし、一度軌道を外れたキャリアを元に戻すのは難しかった。サンダーランドでも怪我に悩まされ本領を発揮できないまま、表舞台への復帰をさらに遠ざける決定的な出来事が起こる。3年目を終えたシーズンオフだった。サンダーランドは2部に降格し、予算削減を強いられたクラブから契約の見直しを求められる。減給の要請だった。これを突っぱねた。本人にしてみれば、到底受け入れられない話だった。クラブも大事だが、それよりも養うべき家族が大切だった。
最悪の巡り合わせだったのは、事の次第がすべて公になったことだ。このとき、サンダーランドには『Netflix』のドキュメンタリー番組が密着していて、クラブとのやり取りの一部始終がカメラに収められ、配信されたのだ。反響は大きかった。身勝手な問題児というレッテルが、貼られてしまった。
それからブラックバーン、シェフィールド・ユナイテッドを経て、30歳でオーストラリアに渡った。21年11月にウェスタン・シドニー・ワンダラーズと1年契約を結んでAリーグに参戦し、22年8月にはフリーでシドニーFCに移籍して、2年目のシーズンを迎えようとしている。
オーストラリアは妻アラナの母国だ。32歳になったロドウェルは、この第二の故郷で取り戻そうとしている。フットボールを楽しむピュアな心を――。
文●松野敏史
※『ワールドサッカーダイジェスト』2023年8月17日号より転載
それからブラックバーン、シェフィールド・ユナイテッドを経て、30歳でオーストラリアに渡った。21年11月にウェスタン・シドニー・ワンダラーズと1年契約を結んでAリーグに参戦し、22年8月にはフリーでシドニーFCに移籍して、2年目のシーズンを迎えようとしている。
オーストラリアは妻アラナの母国だ。32歳になったロドウェルは、この第二の故郷で取り戻そうとしている。フットボールを楽しむピュアな心を――。
文●松野敏史
※『ワールドサッカーダイジェスト』2023年8月17日号より転載