E-1で公約通り3得点
町野のように年代別代表歴が皆無でも、ちょっとしたきっかけでブレイクする選手は少なくない。今の代表を見ても、伊東純也(スタッド・ドゥ・ランス)や毎熊晟矢(C大阪)らもそういう存在だろう。20歳前後の時点では完成形に辿り着かない選手も少なくない。遅咲きの町野も時間を要したのである。
やはり大きかったのは、2つカテゴリーを落としてでも試合出場に強くこだわったことだ。日本サッカー協会の反町康治技術委員長も「現状に甘んじることなく、試合に出られる環境に勇気を持って行けるかどうかでキャリアが大きく変わってくる」と語ったことがあったが、町野はその筆頭と言っていいだろう。
「マリノス時代にはまともに練習もできていなかったんですけど、北九州で逆を取るターンに磨きをかけたのもプラスに働きましたね。それが試合でだんだん出せるようになった。
自分の中で一番印象的なのは、2020年の北九州対徳島戦(7月29日)で椿直起(千葉)のプロ初ゴールとなった2点目をお膳立てした反転です。1人で局面をかわして1対1を作り出すという、自分が描いていた理想に近いプレーを出せたんで、あの時はメチャクチャ嬉しかった。本当にスカッとしました」と、町野は3年前のシーンを昨日のことのように振り返る。
そういった成功体験が積み重なり、急成長を遂げた町野は2021年に湘南へ完全移籍。横浜を離れて3年で、ついに最高峰リーグに自らの力で戻ったのだ。
やはり大きかったのは、2つカテゴリーを落としてでも試合出場に強くこだわったことだ。日本サッカー協会の反町康治技術委員長も「現状に甘んじることなく、試合に出られる環境に勇気を持って行けるかどうかでキャリアが大きく変わってくる」と語ったことがあったが、町野はその筆頭と言っていいだろう。
「マリノス時代にはまともに練習もできていなかったんですけど、北九州で逆を取るターンに磨きをかけたのもプラスに働きましたね。それが試合でだんだん出せるようになった。
自分の中で一番印象的なのは、2020年の北九州対徳島戦(7月29日)で椿直起(千葉)のプロ初ゴールとなった2点目をお膳立てした反転です。1人で局面をかわして1対1を作り出すという、自分が描いていた理想に近いプレーを出せたんで、あの時はメチャクチャ嬉しかった。本当にスカッとしました」と、町野は3年前のシーンを昨日のことのように振り返る。
そういった成功体験が積み重なり、急成長を遂げた町野は2021年に湘南へ完全移籍。横浜を離れて3年で、ついに最高峰リーグに自らの力で戻ったのだ。
湘南時代は最初のシーズンこそ4得点と適応にやや苦しんだが、2022年のW杯イヤーに入ると凄まじい勢いでゴールを量産。5月の川崎フロンターレ戦の2発を筆頭に、結果を出し続け、強烈なインパクトを残すことに成功したのだ。
この活躍ぶりが日本代表の森保一監督の目に留まり、7月のE-1選手権を戦う日本代表に初選出。香港戦と韓国戦で合計3ゴールをゲットし、彼自身が大会前に掲げていた「3得点」を見事にクリアすると同時に、得点王を獲得。W杯直前の9月のドイツ遠征メンバーにも滑り込んだのである。
「でも後半から出たアメリカ戦では本当に何もできなくて、大きな挫折を味わいました。世界の中の自分を知ったというのかな。アメリカは世界的に見ればまだ強豪国という位置づけではないのに、その相手に太刀打ちできなかったわけですから。ディフェンダーの腕の強さとか、捕まれた時にボールを収められないとか、いろいろありましたけど、大きな差を感じたのは確かです」
確かにアメリカ戦の翌日のメディア対応に出てきた町野は、呆然自失状態だった。あまりにもショックが大きすぎて、自身を客観視できなかったのだろう。
この活躍ぶりが日本代表の森保一監督の目に留まり、7月のE-1選手権を戦う日本代表に初選出。香港戦と韓国戦で合計3ゴールをゲットし、彼自身が大会前に掲げていた「3得点」を見事にクリアすると同時に、得点王を獲得。W杯直前の9月のドイツ遠征メンバーにも滑り込んだのである。
「でも後半から出たアメリカ戦では本当に何もできなくて、大きな挫折を味わいました。世界の中の自分を知ったというのかな。アメリカは世界的に見ればまだ強豪国という位置づけではないのに、その相手に太刀打ちできなかったわけですから。ディフェンダーの腕の強さとか、捕まれた時にボールを収められないとか、いろいろありましたけど、大きな差を感じたのは確かです」
確かにアメリカ戦の翌日のメディア対応に出てきた町野は、呆然自失状態だった。あまりにもショックが大きすぎて、自身を客観視できなかったのだろう。