「東京五輪も考えていませんでしたね」
G大阪には、一度復帰して再び海外リーグへ羽ばたいた宇佐美貴史や井手口陽介ら先輩たちがいた。出戻りは「決して恥ずかしいことじゃない」と捉えていた。しかも当時は足の靱帯を痛めていて、練習すらできない日々。未来など読めなかった。一方、欧州で挑戦し続けたい“もうひとりの中村敬斗”がいることも確かな事実だった。
「試合に出られないのは自分に課題があると分かっていたし、足りないところも認識していた。でも19-20シーズンに最初に海外挑戦したトゥベンテで、PSVやアヤックスから点を取ったイメージが残っていたんです。欧州で全然やれないわけじゃない。自分を否定したくなかった」
揺れる心の針。そして欧州の移籍市場が閉まる最終日までG大阪には待ってもらうようにお願いした。そのなかで届いたのが、ジュニオールからのオファー。LASKのセカンドチームで、所属リーグはオーストリア2部だった。
「ギリギリのタイミングでオファーが届いて、蓋を開けるとオーストリア2部。LASKからのオファーだったけど、セカンドチームでやるという内容でした。契約はセカンドチーム。パフォーマンスが良ければトップに上げる可能性もあるという状態。
シント=トロイデンのチームメイトには、オーストリア2部行きの決断をしてしまうのは早いと言われましたし、『夏まで残っていれば、もっと良い条件のクラブが探せるのではないか』とも言われました」
周囲は猛反対。名門・三菱養和ユースで名を馳せ、高校2年生でG大阪入り。18歳でJ1初スタメンも飾った。19歳で期限付き移籍加入したトゥベンテはオランダ1部。シント=トロイデンもベルギー1部に属する。常に陽の当たる場所を歩いてきた。ただ、直感的に「自分はジュニオールに行くだろうな」と思った。
「試合に出られないのは自分に課題があると分かっていたし、足りないところも認識していた。でも19-20シーズンに最初に海外挑戦したトゥベンテで、PSVやアヤックスから点を取ったイメージが残っていたんです。欧州で全然やれないわけじゃない。自分を否定したくなかった」
揺れる心の針。そして欧州の移籍市場が閉まる最終日までG大阪には待ってもらうようにお願いした。そのなかで届いたのが、ジュニオールからのオファー。LASKのセカンドチームで、所属リーグはオーストリア2部だった。
「ギリギリのタイミングでオファーが届いて、蓋を開けるとオーストリア2部。LASKからのオファーだったけど、セカンドチームでやるという内容でした。契約はセカンドチーム。パフォーマンスが良ければトップに上げる可能性もあるという状態。
シント=トロイデンのチームメイトには、オーストリア2部行きの決断をしてしまうのは早いと言われましたし、『夏まで残っていれば、もっと良い条件のクラブが探せるのではないか』とも言われました」
周囲は猛反対。名門・三菱養和ユースで名を馳せ、高校2年生でG大阪入り。18歳でJ1初スタメンも飾った。19歳で期限付き移籍加入したトゥベンテはオランダ1部。シント=トロイデンもベルギー1部に属する。常に陽の当たる場所を歩いてきた。ただ、直感的に「自分はジュニオールに行くだろうな」と思った。
そして背中を押してくれたのは、かつての恩師の言葉だった。
「ヤットさん(遠藤保仁/現ジュビロ磐田)の話をしてくれたんです」
電話口の声の主は、G大阪U-18を率いる森下仁志監督。中村がG大阪のU-23チームで指導を受けた指揮官だ。森下はクラブレジェンドとのやりとりを克明に明かしてくれた。
G大阪で出場機会が少なくなった遠藤が、U-23チームでJ3リーグへの出場を直訴し、クラブが尻込みしたところ、遠藤は「カテゴリーは関係ない。サッカーはサッカーでしょ」と答えた。この言葉を伝え聞いた中村は「確かにそうだな」と腑に落ちた。サッカー選手の価値はピッチにしかない。カテゴリーで最終評価が決まるものではない。自らの想いを言語化されたようだった。
「ダメなら選手としてそこまで。終わりだと思いながら、ここに賭けると決めた。東京五輪も考えていませんでしたね。とにかく欧州で試合に出たかった」
約束された未来が用意されていなくてもいい。純粋にサッカーと向き合いたい――。それだけだった。
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「ヤットさん(遠藤保仁/現ジュビロ磐田)の話をしてくれたんです」
電話口の声の主は、G大阪U-18を率いる森下仁志監督。中村がG大阪のU-23チームで指導を受けた指揮官だ。森下はクラブレジェンドとのやりとりを克明に明かしてくれた。
G大阪で出場機会が少なくなった遠藤が、U-23チームでJ3リーグへの出場を直訴し、クラブが尻込みしたところ、遠藤は「カテゴリーは関係ない。サッカーはサッカーでしょ」と答えた。この言葉を伝え聞いた中村は「確かにそうだな」と腑に落ちた。サッカー選手の価値はピッチにしかない。カテゴリーで最終評価が決まるものではない。自らの想いを言語化されたようだった。
「ダメなら選手としてそこまで。終わりだと思いながら、ここに賭けると決めた。東京五輪も考えていませんでしたね。とにかく欧州で試合に出たかった」
約束された未来が用意されていなくてもいい。純粋にサッカーと向き合いたい――。それだけだった。
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