言い訳ではなく議論を生み出す本音の発言がなければ良い組織、良いグループは作れない。
では、レストランで支払いが『高いな!』と思ったら、店員に言うか? 言わないか? 対応としては次の四つが考えられる。
1.思っても言わない
2.思ったら言う
3.お金のある時は言わない(言う)
4.お金のない時は言う(言わない)
ただ、こうした状況でどう対応するかは性格にもよるが、お金がある時とない時というのは、料理の値段とは本来関係のない話だ。例えば、いつも通っているレストランでも、相手の景気を見て、値段が変わることはよくある。たがそうした条件は、「値段が高い!」とストレートに言うことにおいて、本来なんの影響力も持っていない。
つまり、サッカーで言えばどんな試合状況であっても、勝っていても負けていても、「それはミスだ!」と言う(あるいは言わない)ということだ。
だから非を認めるということを恐れずに「ミスだ!」と非を認める組織、逆に非を認めさせる組織が必要になるのであろう。
そしてそれを言うか言わないかは個人の自由であり、言ってはいけないというルールではなく発言の自由を与えるべきだと思う。
思ったことをストレートに伝えられない世界になればなるほど、人前で意見することが減り、議論して、良い組織、グループになることができなくなる。
そして人と会話するのではなく、ネット、パソコン、携帯で人を攻撃したり、批判、否定する。世の中、人と人が交わり新しいモノができるのではなく、すべてがキーボードを叩き解決する世界になっていく。
人間の間は人と人の間ではなく、ネット世界のパソコン、携帯が人と人の間をつなげる。
そしつないでいるはずが離れていく。
掲示板などに見られる攻撃性を、直接のコミュニケーションに転換できれば、日本はもっと凄い国になるのではないか……。顔と顔を合わせて同じことが言えるようになればだ。
ただ本音を言い合うための環境がないから、そして人間としての器が足りないから、調和を取るための手段として生まれたのが、ネット社会なんであろう。
そしてこれを伝える方法がまた、このwebサイトでなければならないのだが、1万人以上の人に意見を聞いてもらえる手段としては凄いものだ。そしてそれを伝えられるこういった局面でも、なかなか本当のことが言えないルールになっているのも事実だ。
本当のことを言う。モノが言えるのと、言い訳をするのは違う。
表現することがあまり良く思われない世の中になっている氣がする。感情を現わすのが余り良いことではないような世間になっているような。
サッカーの世界も年々、選手が弱くなってきているような氣がする。淡々とプレーする選手が増え、淡々とチャンスを掴みモノにするなら良いが、淡々とチャンスを逃す。気持ちが伝わらないプレーも増えているようだ。
先週末、味スタでFC東京-鳥栖を、フクアリで千葉-讃岐を試合観戦してきた。FC東京は勝利で3位を確定させることができ、チャンピオンシップとACLのチャンスを掴める試合だった。しかし、FC東京は引き分けて4位となり、掴みかけていたものを失ってしまった。僕には、淡々と大きなチャンスを逃したように見えた。
また千葉も勝利でJ1昇格プレーオフの可能性があるビックゲームを迎えていた。もがき苦しんでいた様には見えたが、結局スコアレスドローに終わってプレーオフ進出を逃した。FC東京も千葉も、懸かっているものがないノーチャンスのチームを相手にどこかやり切れていないようにも見えた。
氣のせいならいいのだが……。
冒頭に戻ろう。僕は『言い訳』が嫌いだ。
2015年11月25日
三浦泰年
1.思っても言わない
2.思ったら言う
3.お金のある時は言わない(言う)
4.お金のない時は言う(言わない)
ただ、こうした状況でどう対応するかは性格にもよるが、お金がある時とない時というのは、料理の値段とは本来関係のない話だ。例えば、いつも通っているレストランでも、相手の景気を見て、値段が変わることはよくある。たがそうした条件は、「値段が高い!」とストレートに言うことにおいて、本来なんの影響力も持っていない。
つまり、サッカーで言えばどんな試合状況であっても、勝っていても負けていても、「それはミスだ!」と言う(あるいは言わない)ということだ。
だから非を認めるということを恐れずに「ミスだ!」と非を認める組織、逆に非を認めさせる組織が必要になるのであろう。
そしてそれを言うか言わないかは個人の自由であり、言ってはいけないというルールではなく発言の自由を与えるべきだと思う。
思ったことをストレートに伝えられない世界になればなるほど、人前で意見することが減り、議論して、良い組織、グループになることができなくなる。
そして人と会話するのではなく、ネット、パソコン、携帯で人を攻撃したり、批判、否定する。世の中、人と人が交わり新しいモノができるのではなく、すべてがキーボードを叩き解決する世界になっていく。
人間の間は人と人の間ではなく、ネット世界のパソコン、携帯が人と人の間をつなげる。
そしつないでいるはずが離れていく。
掲示板などに見られる攻撃性を、直接のコミュニケーションに転換できれば、日本はもっと凄い国になるのではないか……。顔と顔を合わせて同じことが言えるようになればだ。
ただ本音を言い合うための環境がないから、そして人間としての器が足りないから、調和を取るための手段として生まれたのが、ネット社会なんであろう。
そしてこれを伝える方法がまた、このwebサイトでなければならないのだが、1万人以上の人に意見を聞いてもらえる手段としては凄いものだ。そしてそれを伝えられるこういった局面でも、なかなか本当のことが言えないルールになっているのも事実だ。
本当のことを言う。モノが言えるのと、言い訳をするのは違う。
表現することがあまり良く思われない世の中になっている氣がする。感情を現わすのが余り良いことではないような世間になっているような。
サッカーの世界も年々、選手が弱くなってきているような氣がする。淡々とプレーする選手が増え、淡々とチャンスを掴みモノにするなら良いが、淡々とチャンスを逃す。気持ちが伝わらないプレーも増えているようだ。
先週末、味スタでFC東京-鳥栖を、フクアリで千葉-讃岐を試合観戦してきた。FC東京は勝利で3位を確定させることができ、チャンピオンシップとACLのチャンスを掴める試合だった。しかし、FC東京は引き分けて4位となり、掴みかけていたものを失ってしまった。僕には、淡々と大きなチャンスを逃したように見えた。
また千葉も勝利でJ1昇格プレーオフの可能性があるビックゲームを迎えていた。もがき苦しんでいた様には見えたが、結局スコアレスドローに終わってプレーオフ進出を逃した。FC東京も千葉も、懸かっているものがないノーチャンスのチームを相手にどこかやり切れていないようにも見えた。
氣のせいならいいのだが……。
冒頭に戻ろう。僕は『言い訳』が嫌いだ。
2015年11月25日
三浦泰年