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イタリア行きに苦労するもついにアッズーリとメガクラブへ。エデルの「知られざる波乱万丈伝」

カテゴリ:ワールド

弓削高志

2016年02月01日

クリシューマの無茶な要求が仇となり…。

レッチェのSDだったコルビーノは、ブラジルまで足を運んでエデルの才能に惚れ込む。その後、イタリア進出への足掛かりを作ったまさに恩人だ。(C)Getty Images

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 ただ、当時のレッチェの下部組織は、後にアッズーリでエデルと2トップを組むことになるグラツィアーノ・ペッレ(現サウサンプトン)をはじめ、将来性豊かな若手で溢れ返っていた。
 
 このまま入団させても、才能が埋もれてしまうかもしれない。そう危惧したコルビーノは、いったんエデルを帰国させ、次善の策を
巡らせた。
 
 思いついたのは、知己の多いフィオレンティーナへの売り込みだった。みずからのキャリアアップも考えた、コルビーノの一計だ。事実、彼はその後、フィオレンティーナに職を得ている。
 
 クリシューマとは、移籍金80万ユーロ(約1億1200万円)で合意。フィオレンティーナのEU圏外出身選手の枠はすでに埋まっていたものの、エデルにはイタリア移民だった曾祖父がいた。
 
 コルビーノは父親を説得し、エデルにイタリアのパスポートを取得させて問題をクリア。こうして、フィオレンティーナへの移籍をまとめ上げたのだ。
 
 ところが、資金繰りに困ったクリシューマが、無茶な要求を突きつけてきた。
 
「今すぐ80万ユーロを前払いしろ。さもなければ別のクラブへ売り飛ばす」
 
 そう迫ったため、フィオレンティーナ側が激怒。合意は破談となり、エデルのイタリア挑戦はまたしても目前で白紙に戻ってしまったのである。
 
 しかし、エデルはめげなかった。むしろ、イタリアでのプレーを強く望むようになったのである。
 
 そして、その強い思いが実を結ぶ。フィオレンティーナ移籍破談の顛末を知ったエンポリが獲得に動き、05年1月、合意が成立する。コルビーノの手引きではなかったとはいえ、エデルのイタリア行きはこうしてついに叶ったのだった。
 
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