音楽よりサッカーの手腕に冴えた指揮官に率いられ快進撃を続ける。
付け加えておくと、ビリッチはバンドがイギリスに進出できるか見極めるため、ロンドンのレコードレーベルにも所属していた。彼はかつてこう言っている。「フットボーラーとしての自分の名声を考えれば、クロアチアで曲をリリースしたら、ベストセラーになるだろう。だからイギリスでチャレンジしてみたいんだ」。
調べたところ、そのレコードレーベルのオーナーはエバートンファンで、ビリッチも97~00年にエバートンでプレーしていたため、交渉の席を設けることは難しくはなかった。しかしながら、彼の発売したCDはあまりにもボリュームが大きく、ヘビーで、私の頭は張り裂けそうになった。グラミー賞には相応しくなかったことは明らかだったと言っておこう。
今シーズン、我らがウェストハムを率いるビリッチのサッカー面での手腕は、音楽面でのそれよりも冴えているのは間違いない。アーセナルやリバプール、シティ、チェルシーを負かすことに慣れていない我々にとって、ましてやそれを同一シーズンにすべて達成するなんて!
ところが、ワトフォードやボーンマス、レスター・シティといったチームにはしっかり敗れるのだ。まさしく“West Ham Way”だ。
開幕のアーセナル戦、私は試合が行なわれたエミレーツ・スタジアムにいたが、勝利に値するゲーム内容だった。こういったパフォーマンスは、ウェストハムによりビッグなスター選手を惹き付けるだろう。
プレミアリーグで優勝争いをできるチームでプレーすること、高い給料、ロンドンでの生活、そして若くて野心に溢れる監督……。さらには、2016-17シーズンから、12年のロンドン・オリンピックでメイン会場として使用されたオリンピックスタジアムへと移転するのも“惹き”になるはずだ。
日本代表の本田圭佑は、今冬の移籍市場でウェストハムの獲得候補に名前が挙がるビッグネームだが、快進撃を続けるウェストハムには数々の噂が出ている。本田は数多くの候補のひとりでしかないものの、私はウェストハムと彼が接点を持つのではないかと思っている。
なぜなら、正直なところ、彼はユナイテッドやシティ、チェルシー、アーセナルといったプレミアリーグのトップクラブと契約するような選手には見えないからだ。
だが、「夢は儚く消えていくかもしれない。しかしながら、夢を見たっていいじゃないか!」――。これは我々ウェストハムにも、そして本田自身や日本のサッカーファンにも当てはまる話だろう。
では、また次回のコラムでお会いしましょう。
文:スティーブ・マッケンジー
調べたところ、そのレコードレーベルのオーナーはエバートンファンで、ビリッチも97~00年にエバートンでプレーしていたため、交渉の席を設けることは難しくはなかった。しかしながら、彼の発売したCDはあまりにもボリュームが大きく、ヘビーで、私の頭は張り裂けそうになった。グラミー賞には相応しくなかったことは明らかだったと言っておこう。
今シーズン、我らがウェストハムを率いるビリッチのサッカー面での手腕は、音楽面でのそれよりも冴えているのは間違いない。アーセナルやリバプール、シティ、チェルシーを負かすことに慣れていない我々にとって、ましてやそれを同一シーズンにすべて達成するなんて!
ところが、ワトフォードやボーンマス、レスター・シティといったチームにはしっかり敗れるのだ。まさしく“West Ham Way”だ。
開幕のアーセナル戦、私は試合が行なわれたエミレーツ・スタジアムにいたが、勝利に値するゲーム内容だった。こういったパフォーマンスは、ウェストハムによりビッグなスター選手を惹き付けるだろう。
プレミアリーグで優勝争いをできるチームでプレーすること、高い給料、ロンドンでの生活、そして若くて野心に溢れる監督……。さらには、2016-17シーズンから、12年のロンドン・オリンピックでメイン会場として使用されたオリンピックスタジアムへと移転するのも“惹き”になるはずだ。
日本代表の本田圭佑は、今冬の移籍市場でウェストハムの獲得候補に名前が挙がるビッグネームだが、快進撃を続けるウェストハムには数々の噂が出ている。本田は数多くの候補のひとりでしかないものの、私はウェストハムと彼が接点を持つのではないかと思っている。
なぜなら、正直なところ、彼はユナイテッドやシティ、チェルシー、アーセナルといったプレミアリーグのトップクラブと契約するような選手には見えないからだ。
だが、「夢は儚く消えていくかもしれない。しかしながら、夢を見たっていいじゃないか!」――。これは我々ウェストハムにも、そして本田自身や日本のサッカーファンにも当てはまる話だろう。
では、また次回のコラムでお会いしましょう。
文:スティーブ・マッケンジー

スティーブ・マッケンジー (STEVE MACKENZIE)
profile/1968年6月7日にロンドンに生まれる。ウェストハムとサウサンプトンのユースでのプレー経験があり、とりわけウェストハムへの思い入れが強く、ユース時代からサポーターになった。また、スコットランド代表のファンでもある。大学時代はサッカーの奨学生として米国の大学で学び、1989年のNCAA(全米大学体育協会)主催の大会で優勝に輝く。