バロテッリとの交渉が破談していれば、あの元エースがミランに復帰していた?
ふたりが落ち合ったのは、街の郊外にある何の変哲もない駐車場。彼らは窓に黒いフィルムを貼った車の中で、20分間に渡って話し合った。
バロテッリは、自分は変わったと強調。「もう子供ではない。子を持つ親にもなった」、「これが本当に最後のチャンスで、もう後がないとよくわかっている」、「プロフェッショナルとしてベストを尽くして日々を過ごすし、何の要求もしないからチャンスを与えてほしい」などと訴え、ミハイロビッチがその言葉に納得したというのが、伝え聞いた話である。
私が移籍専門記者になってだいぶ経つが、深夜の駐車場で選手が監督に受け入れてほしいと懇願するなど、見たことも聞いたこともない。
この復帰劇をさらに興味深いものにしたのが、その契約内容である。ミランはバロテッリと契約を交わすにあたって、選手全員に課している規律だけでなく、ピッチ内外で守るべきさらに厳しい規律を定めて、それを破った場合は罰金、あるいは契約解除もありえるという付帯条項を盛り込んだ。
私がガッリアーニから聞いた話によると、その雛形になったのはアメリカ空軍の軍規だという。この軍規は100項目以上に上り、髪形やモミアゲの長さ、起床時のベッドメークの仕方や歯の磨き方など、サッカー選手に直接関係のない条項を除いたすべてを契約書に盛り込んだという。
そして、バロテッリがこれらの条項をひとつ破るごとに、年俸が5%ずつ削られるという取り決めになっているのだそうだ。
バロテッリのミラン移籍に関連してもうひとつ表に出ていないのは、ミランが彼を獲得しなければ、代わりにアレッシャンドレ・パット(現在はコリンチャンスからサンパウロにレンタル中)を呼び戻す計画だったという話だ。
仲介人を通して打診があり、ガッリアーニは考慮に入れていたようだ。しかし、バロテッリの優先順位が高かったため、結局話は具体化しなかった。
文:ジャンルカ・ディ・マルツィオ
翻訳:片野道郎
※ワールドサッカーダイジェスト2015.10.15号より加筆・修正
【今だから言える15年夏の超極秘話①】ポグバ移籍は実現の可能性が十分にあった!
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【今だから言える15年夏の超極秘話③】ユーベがシケイラを捨ててA・サンドロを獲った舞台裏
【今だから言える15年夏の超極秘話④】なぜ、ユーベはドラクスラーを獲り逃がしたのか?
【著者プロフィール】
Gianluca DI MARZIO / SKY ITALIA
ジャンルカ・ディ・マルツィオ
1974年3月28日、ナポリ近郊の町に生まれる。父は70~90年代にナポリ、ジェノア、レッチェなどで監督を歴任し、現在はTVコメンテーターのジャンニ・ディ・マルツィオ。選手としては才能に恵まれず、ジャーナリストを志し、パドバ大学在学中の94年に地元のTV局でキャリアをスタート。04年から『スカイ・イタリア』に所属する。父を通して得た人脈を活かしてカルチョの世界に広いネットワークを築き、移籍マーケットの専門記者という独自のフィールドを開拓。この分野ではイタリアの第一人者で、13年1月にグアルディオラのバイエルン入りをスクープしてからは、他の欧州諸国でも注目を集めている。
バロテッリは、自分は変わったと強調。「もう子供ではない。子を持つ親にもなった」、「これが本当に最後のチャンスで、もう後がないとよくわかっている」、「プロフェッショナルとしてベストを尽くして日々を過ごすし、何の要求もしないからチャンスを与えてほしい」などと訴え、ミハイロビッチがその言葉に納得したというのが、伝え聞いた話である。
私が移籍専門記者になってだいぶ経つが、深夜の駐車場で選手が監督に受け入れてほしいと懇願するなど、見たことも聞いたこともない。
この復帰劇をさらに興味深いものにしたのが、その契約内容である。ミランはバロテッリと契約を交わすにあたって、選手全員に課している規律だけでなく、ピッチ内外で守るべきさらに厳しい規律を定めて、それを破った場合は罰金、あるいは契約解除もありえるという付帯条項を盛り込んだ。
私がガッリアーニから聞いた話によると、その雛形になったのはアメリカ空軍の軍規だという。この軍規は100項目以上に上り、髪形やモミアゲの長さ、起床時のベッドメークの仕方や歯の磨き方など、サッカー選手に直接関係のない条項を除いたすべてを契約書に盛り込んだという。
そして、バロテッリがこれらの条項をひとつ破るごとに、年俸が5%ずつ削られるという取り決めになっているのだそうだ。
バロテッリのミラン移籍に関連してもうひとつ表に出ていないのは、ミランが彼を獲得しなければ、代わりにアレッシャンドレ・パット(現在はコリンチャンスからサンパウロにレンタル中)を呼び戻す計画だったという話だ。
仲介人を通して打診があり、ガッリアーニは考慮に入れていたようだ。しかし、バロテッリの優先順位が高かったため、結局話は具体化しなかった。
文:ジャンルカ・ディ・マルツィオ
翻訳:片野道郎
※ワールドサッカーダイジェスト2015.10.15号より加筆・修正
【今だから言える15年夏の超極秘話①】ポグバ移籍は実現の可能性が十分にあった!
【今だから言える15年夏の超極秘話②】補強失敗を受けてモウリーニョとアブラモビッチの間にヒビが?
【今だから言える15年夏の超極秘話③】ユーベがシケイラを捨ててA・サンドロを獲った舞台裏
【今だから言える15年夏の超極秘話④】なぜ、ユーベはドラクスラーを獲り逃がしたのか?
【著者プロフィール】
Gianluca DI MARZIO / SKY ITALIA
ジャンルカ・ディ・マルツィオ
1974年3月28日、ナポリ近郊の町に生まれる。父は70~90年代にナポリ、ジェノア、レッチェなどで監督を歴任し、現在はTVコメンテーターのジャンニ・ディ・マルツィオ。選手としては才能に恵まれず、ジャーナリストを志し、パドバ大学在学中の94年に地元のTV局でキャリアをスタート。04年から『スカイ・イタリア』に所属する。父を通して得た人脈を活かしてカルチョの世界に広いネットワークを築き、移籍マーケットの専門記者という独自のフィールドを開拓。この分野ではイタリアの第一人者で、13年1月にグアルディオラのバイエルン入りをスクープしてからは、他の欧州諸国でも注目を集めている。