「日本で何度か一緒に練習した」久保建英から見た18歳・中井卓大の印象は? イ・ガンインとの関係やマドリー退団についても明かす!「EU圏外枠に空きさえあれば…」
カテゴリ:海外日本人
2022年09月03日
「ヘタフェは僕のプレースタイルに合わないと言われるけど…」
――そんな中、突然現れたのがマドリーでした。
「18歳になるまで待たなければならなかった。コパ・アメリカに出場している最中に、マドリーから声がかかった。試合があり、大会が終わるとすぐにプレシーズンが始まるので、ゆっくり選んでいる時間がなかった。それでマドリーを選んだんだ」
――マドリーに入団した頃を振り返ってもらえますか?
「もしかすると誰も話をしてくれないかもしれないと思っていたけど、トップレベルに到達した人間は、人格的にも優れている。どっしりとした落ち着きがあって、新たに加わった若者に対しても親切に接してくれる。素晴らしいことだよ」
――ただそれがレンタル生活の始まりでもありました。最初の移籍先はマジョルカで、35試合に出場しました。
「EU圏外枠が全て埋まっていたので、出て行くしかなかった。マジョルカでの1年目のシーズンはとても良かった。マドリーの関係者からは、カスティージャに残ってもう少し様子を見るように言われたけど、僕が移籍を志願した。マジョルカは1つの家族のようなチームだった。街の人みんなが応援してくれる。そんな中、日本から誰も知らない18歳の若者が来たんだ。すぐに僕のことを認めてくれて、それが1年目の成功の土台になった。家族的な雰囲気が後押ししてくれたのは間違いない」
「18歳になるまで待たなければならなかった。コパ・アメリカに出場している最中に、マドリーから声がかかった。試合があり、大会が終わるとすぐにプレシーズンが始まるので、ゆっくり選んでいる時間がなかった。それでマドリーを選んだんだ」
――マドリーに入団した頃を振り返ってもらえますか?
「もしかすると誰も話をしてくれないかもしれないと思っていたけど、トップレベルに到達した人間は、人格的にも優れている。どっしりとした落ち着きがあって、新たに加わった若者に対しても親切に接してくれる。素晴らしいことだよ」
――ただそれがレンタル生活の始まりでもありました。最初の移籍先はマジョルカで、35試合に出場しました。
「EU圏外枠が全て埋まっていたので、出て行くしかなかった。マジョルカでの1年目のシーズンはとても良かった。マドリーの関係者からは、カスティージャに残ってもう少し様子を見るように言われたけど、僕が移籍を志願した。マジョルカは1つの家族のようなチームだった。街の人みんなが応援してくれる。そんな中、日本から誰も知らない18歳の若者が来たんだ。すぐに僕のことを認めてくれて、それが1年目の成功の土台になった。家族的な雰囲気が後押ししてくれたのは間違いない」
――ビジャレアルでは(ウナイ)エメリ監督の要求通りに物事は運びませんでした。
「ポジティブなこともあった。とくに中盤から前線にかけてレベルの高い選手が揃っていて、そんなチームメイトたちと一緒に練習することができた。ただ19歳の選手が、レンタルという形でプレーするのはなかなか大変なんだ。僕が一つのプランを持って加入しても、ミステル(監督)が別のプランを考えていることもあって、それで意見に食い違いが生じることもある。でもELでプレーすることもできた。ポジティブに振り返ることができる出来事もあった」
――ヘタフェを次の移籍先に選んだのは理解に苦しみました。
「僕のプレースタイルに合わないと言われるけど、守備に対する意識が大きく変わったと思う。ボルダラスの守備の構築は、他の監督とはまったく違っていて、アウェーでプレーするときにとても役に立った。彼のおかげで守備力が大きく向上したと思うし、精神的にもタフになった。
ミーティングでの話し方も他の監督とは全く違っていた。カリスマ性があり、時には選手と衝突することもあったけど、ポジティブな面を見れば、優秀な監督に思えた。僕にはとてもやりやすかった」
――そして昨シーズン、マジョルカに復帰しました。
「いろんなことが起こった。スタートはとても良かった。でも突然怪我をしてしまい、チームが勝てなくなり、戦い方が方向転換し、(ヴェダト)ムリチが加入し、志向するサッカーも少し変わってしまった。ルイス・ガルシアは戦い方を踏襲しようと軌道修正を試みてはいたけどね。そんな中、6試合、7試合と黒星が続くと、監督を交代しなければならなかった。監督にとっては難しい状況だ。彼(ルイス・ガルシア)は僕たちの責任をかぶった格好だ。
アギーレが招聘された後は、セカンドボールを狙うダイレクトなサッカーに舵が切られた。何が何でも1部残留を果たさなければならないというクラブ全体に広がっていた切迫感がそうさせていたことも事実だ。ああいう戦い方をするか負けるかの二者択一だった。他に選択肢はなかった」
「ポジティブなこともあった。とくに中盤から前線にかけてレベルの高い選手が揃っていて、そんなチームメイトたちと一緒に練習することができた。ただ19歳の選手が、レンタルという形でプレーするのはなかなか大変なんだ。僕が一つのプランを持って加入しても、ミステル(監督)が別のプランを考えていることもあって、それで意見に食い違いが生じることもある。でもELでプレーすることもできた。ポジティブに振り返ることができる出来事もあった」
――ヘタフェを次の移籍先に選んだのは理解に苦しみました。
「僕のプレースタイルに合わないと言われるけど、守備に対する意識が大きく変わったと思う。ボルダラスの守備の構築は、他の監督とはまったく違っていて、アウェーでプレーするときにとても役に立った。彼のおかげで守備力が大きく向上したと思うし、精神的にもタフになった。
ミーティングでの話し方も他の監督とは全く違っていた。カリスマ性があり、時には選手と衝突することもあったけど、ポジティブな面を見れば、優秀な監督に思えた。僕にはとてもやりやすかった」
――そして昨シーズン、マジョルカに復帰しました。
「いろんなことが起こった。スタートはとても良かった。でも突然怪我をしてしまい、チームが勝てなくなり、戦い方が方向転換し、(ヴェダト)ムリチが加入し、志向するサッカーも少し変わってしまった。ルイス・ガルシアは戦い方を踏襲しようと軌道修正を試みてはいたけどね。そんな中、6試合、7試合と黒星が続くと、監督を交代しなければならなかった。監督にとっては難しい状況だ。彼(ルイス・ガルシア)は僕たちの責任をかぶった格好だ。
アギーレが招聘された後は、セカンドボールを狙うダイレクトなサッカーに舵が切られた。何が何でも1部残留を果たさなければならないというクラブ全体に広がっていた切迫感がそうさせていたことも事実だ。ああいう戦い方をするか負けるかの二者択一だった。他に選択肢はなかった」