• トップ
  • ニュース一覧
  • 憧れた小野伸二、新卒開幕戦デビュー、24歳での引退、脱サラ…元浦和レッズ戦士、池田“ロボ”学が歩んだ波乱万丈の半生

憧れた小野伸二、新卒開幕戦デビュー、24歳での引退、脱サラ…元浦和レッズ戦士、池田“ロボ”学が歩んだ波乱万丈の半生

カテゴリ:Jリーグ

河野 正

2022年05月29日

あらためて回顧する、23年前に駒場で起きたあの“出来事”

浦和には4年間在籍。年代別代表にも選ばれたが、相次ぐ怪我がキャリアの歯車を狂わせた。写真:岡沢克郎/アフロ

画像を見る

 浦和に在籍した4年間で池田がもっともクローズアップされたのが、99年11月27日のサンフレッチェ広島とのリーグ最終戦だ。

 この年からJ2もスタートし、J1下位2チームがJ2へ自動降格。不振にあえぐ浦和は最終節まで残留を争い、広島に90分で勝つしかない崖っぷちに立たされていた。当時は90分で決着しない場合、Vゴール方式の延長戦を行なう規定だった。

 試合は0-0で終了し、降格が決まった。浦和駒場スタジアムに集まった2万42人の観衆は、延長戦に臨む意味がないことを承知していたが、池田だけは知らなかった。

 延長後半1分、浦和はエース福田正博の得点でVゴール勝ち。次の瞬間、喜色満面の池田がうなだれる福田に抱き着くと、ぶ然とした表情の福田は池田の両腕を払いのけた。

「ア・デモス監督からは勝てばいいと言われていたので、福田さんの得点の時も自分が決めてヒーローになるつもりでゴール前に上がったんです。90分が終わり何となく変な雰囲気でしたが、とにかく勝つことしか考えていなかったので延長に入る前、『さあ行こうぜ』と(ゼリコ・)ペトロビッチのお尻をたたいた。彼にはプロフェッショナルと映った半面、この状況でもまだ頑張るのかと呆れたのでは。ただ何も知らなかった自分は勝ちたい一心でした」

 高卒の新人としては97年の田畑昭宏と永井雄一郎、98年の小野に続き、クラブ史上4人目となる開幕戦に先発。ユースと五輪で日本代表候補に選ばれるなど、池田の未来は前途洋々に思えたのだが……。
 

 2年目は右太もも裏の肉離れなどでベンチ入りすらなく、J1に復帰した3年目は公式戦20試合に出場したが、02年も筋肉系の怪我が重なって一度もピッチに立てなかった。

 J2湘南に完全移籍した03年は、7月に入ってレギュラーとなったものの、終盤には左けい骨疲労骨折で手術。この影響もあって翌年の出場時間は3分だけだ。オペ後も痛みが残り、左足で思いっ切り跳べずにヘディングの打点が低くなった。

 持ち味のひとつを失ったことで、現役に見切りをつける。J1リーグ30試合、J2で14試合というのが池田の出場記録だ。「今だからいい経験をさせてもらったと言えますが、当時は歯がゆくて仕方なかった。痛い、きつい、熱があるとか弱音を一度も吐かなかった鉄人の小野さんを高校時代に見ているので、多少のことでは動じませんが、怪我が多くて何もできないことだけが辛かった」と6年間のプロ生活を振り返った。
【関連記事】
浦和レッズでプロになった“早熟の天才”。28歳で現役を引退してからクラブ代表として辣腕を振るうまで
驚異の男・桜井直人が貫いた生きザマ。45歳、“ドリブル修練所”に込めた強烈なこだわりとイズム
浦和ユースは1年でプレミア復帰を果たせるのか。“阿部勇樹コーチ”がもたらす波及効果にも期待大
伝説のOBたちがいま明かす、埼玉サッカー界が誇る“鬼マツ”松本暁司の奥深き生きざま──
数多の日本代表戦士を育てた80歳・名伯楽は、なぜ母校の浦和高校に舞い戻ったのか

サッカーダイジェストTV

詳細を見る

 動画をもっと見る

Facebookでコメント

サッカーダイジェストの最新号

  • 週刊サッカーダイジェスト なでしこJに続け!
    4月10日発売
    U-23日本代表
    パリ五輪最終予選
    展望&ガイド
    熾烈なバトルを総力特集
    詳細はこちら

  • ワールドサッカーダイジェスト 世界各国の超逸材を紹介!
    4月18日発売
    母国をさらなる高みに導く
    「新・黄金世代」大研究
    列強国も中小国も
    世界の才能を徹底網羅!!
    詳細はこちら

  • 高校サッカーダイジェスト 高校サッカーダイジェストVo.40
    1月12日発売
    第102回全国高校選手権
    決戦速報号
    青森山田が4度目V
    全47試合を完全レポート
    詳細はこちら

>>広告掲載のお問合せ

ページトップへ