当時はその出自とパワフルなプレースタイルから、〝リベリアの怪人〞と呼ばれたレジェンド、ジョージ・ウェアとも比較されるほどだった。
ところが、そこから転落が始まる。07年4月に恩師コールマンが解任されると、後任のロウリー・サンチェス監督はジョンを構想外とし、当時2部のレスターへ期限付きで放出。以降はワトフォード、NEC(オランダ)、ルーセラーレ(ベルギー)、シカゴ・ファイア(米国)、ガバラ(アゼルバイジャン)、メス・サルチェシュメ(イラン)、バーネット(イングランド4部)、ピッツバーグ・リバーハウンズ(米国2部)などを転々とし、陽のあたる場所に戻ることなく29歳で引退した。怪我や病気(食道に腫瘍が見つかったことも)が重なり、コンディションを良好に保てなかったのも一因だった。
ただ本人は、「それも人生さ。もっとうまくいけば良かったと思うこともあるけど、後悔はない」と胸を張る。
現在は地域リーグで持ち前の得点センスを発揮
引退後は地元アルメールでアマチュアチーム、ブイテンボーイズの指導を頼まれ、気がついたらのめり込んでいた。そして周囲に促されるままに、19-20シーズンからはプレーヤーとして復帰。地域リーグで持ち前の得点センスを発揮している。
溢れる笑顔が物語る通り、幸せな第二の人生を送っているようだ。
文●井川洋一
※『ワールドサッカーダイジェスト』2022年2月17日号より転載
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