「本来ライバルとなるインモービレとベロッティの間でも真の友情が生まれた」
それにしてもスウェーデンとのプレーオフに負けてロシア・ワールドカップを逃したチームが、どうして再生することができたのだろうか。それについてラニエリは明確な意見を持っていた。
「チームスポーツで奇跡を起こした場合、その功労者として一人の名前を挙げるのは難しいものだ。しかし、この優勝ははっきりしていた。疑いようもなく監督のロベルト・マンチーニだ。彼の貢献度は本当に大きい。チームのメンタリティを根本的に変えるという非常に難しい使命を成し遂げた。プレーのシステムとか、スタイルとかそういった表層的なものではない。アッズーリそのものを変えてしまったのだ。
『守ってカウンター』という古いメンタリティを、ベル・ジョーコ(美しいプレー)をして勝つというものに変えさせたのは、まさに偉業と言っていい。この何十年間のイタリア・サッカーを真逆にしたようなものだ。マンチーニが指揮を執り始めた当初、多くの者がマンチーニをただの夢想家だと決めつけた。しかしウェンブリーで、彼は信念を持つ者だけが、偉大なプロジェクトを成し遂げることを証明してみせたのだ」
【PHOTO】PK戦まで縺れた死闘を制したイタリアが、53年ぶり2度目のEURO制覇!歓喜に沸くアズーリを厳選ショットで紹介!
「チームスポーツで奇跡を起こした場合、その功労者として一人の名前を挙げるのは難しいものだ。しかし、この優勝ははっきりしていた。疑いようもなく監督のロベルト・マンチーニだ。彼の貢献度は本当に大きい。チームのメンタリティを根本的に変えるという非常に難しい使命を成し遂げた。プレーのシステムとか、スタイルとかそういった表層的なものではない。アッズーリそのものを変えてしまったのだ。
『守ってカウンター』という古いメンタリティを、ベル・ジョーコ(美しいプレー)をして勝つというものに変えさせたのは、まさに偉業と言っていい。この何十年間のイタリア・サッカーを真逆にしたようなものだ。マンチーニが指揮を執り始めた当初、多くの者がマンチーニをただの夢想家だと決めつけた。しかしウェンブリーで、彼は信念を持つ者だけが、偉大なプロジェクトを成し遂げることを証明してみせたのだ」
【PHOTO】PK戦まで縺れた死闘を制したイタリアが、53年ぶり2度目のEURO制覇!歓喜に沸くアズーリを厳選ショットで紹介!
しかし、マンチーニはいったいどのようにそれを成し遂げたのか。イタリアのどこのクラブもアッズーリのようなプレーはしていなかった。
「それこそマンチーニの素晴らしいところだ。彼は何もないところから、すべてを作り上げた。選手のメンタルに入念に働きかけ、ワールドカップを逃して落胆し、モチベーションも地に落ちていたチームを、自信を持ち、やる気に満ちた集団へと変えることに成功した。
もちろんマンチーニひとりでそれができたわけではない。彼のスタッフ、いやスタッフというより真の友人達で構成された“仲間”の助けが、大きな力となった。ヴィアッリ、ロンバルド、エバーニ、サルサノ、ヌチャーリといった、かつてのサンプドリアの仲間たち(その多くとマンチーニは30年前選手としてスクデットを勝ち取った)、それからバッターラ、オリアリ、デ・ロッシ。彼らがいたからこそマンチーニは落ち着いて仕事ができ、時に前例のない思いきった方法もとることができた。
例えばマンチーニは大会前にサルデーニャ島でプレキャンプを行ったが、これは練習というよりは限りなくバカンスに近かった。こうしてただ同じ仕事をするために集められた選手たちは、本物の友人へとなっていった。その中で本来ライバルとなるインモービレとベロッティの間でも真の友情が生まれた。彼らはどちらがプレーしても相手を羨むどころか、互いに励まし合う関係となった。
チームが一心同体であったことは、スピナッツォーラがアキレス腱を痛めたシーンにも表われていた。怪我をした彼をすべての選手が心配そうに取り囲み、無事手術を成功した後は彼もウェンブリーに来てほしいと願った。勝利が決まった時、松葉杖をつきながら駆け寄ったスピナッツォーラの姿は誰をも感動させ、またこのアッズーリがどんなチームだったのかを知らしめたことだろう」
「それこそマンチーニの素晴らしいところだ。彼は何もないところから、すべてを作り上げた。選手のメンタルに入念に働きかけ、ワールドカップを逃して落胆し、モチベーションも地に落ちていたチームを、自信を持ち、やる気に満ちた集団へと変えることに成功した。
もちろんマンチーニひとりでそれができたわけではない。彼のスタッフ、いやスタッフというより真の友人達で構成された“仲間”の助けが、大きな力となった。ヴィアッリ、ロンバルド、エバーニ、サルサノ、ヌチャーリといった、かつてのサンプドリアの仲間たち(その多くとマンチーニは30年前選手としてスクデットを勝ち取った)、それからバッターラ、オリアリ、デ・ロッシ。彼らがいたからこそマンチーニは落ち着いて仕事ができ、時に前例のない思いきった方法もとることができた。
例えばマンチーニは大会前にサルデーニャ島でプレキャンプを行ったが、これは練習というよりは限りなくバカンスに近かった。こうしてただ同じ仕事をするために集められた選手たちは、本物の友人へとなっていった。その中で本来ライバルとなるインモービレとベロッティの間でも真の友情が生まれた。彼らはどちらがプレーしても相手を羨むどころか、互いに励まし合う関係となった。
チームが一心同体であったことは、スピナッツォーラがアキレス腱を痛めたシーンにも表われていた。怪我をした彼をすべての選手が心配そうに取り囲み、無事手術を成功した後は彼もウェンブリーに来てほしいと願った。勝利が決まった時、松葉杖をつきながら駆け寄ったスピナッツォーラの姿は誰をも感動させ、またこのアッズーリがどんなチームだったのかを知らしめたことだろう」