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「いつになっても指導者は学ばないとね」小嶺先生が持ち続けた情熱と“生涯チャレンジ”の姿勢 最期まで肩書きは監督のまま…

カテゴリ:連載・コラム

松尾祐希

2022年01月08日

自らバスのハンドルを握り長距離遠征。各地の指導者とのサッカー談議で見識を深める

国見では戦後最多タイの選手権優勝6回を誇る。
自らが手塩にかけて育てたチームは全国屈指の強豪となった。写真:サッカーダイジェスト

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 ピッチを離れても選手への愛情は変わらない。寝食をともにするスタンスは今も昔も同じ。今でこそ寮を持つチームが増え、住み込みで一緒に生活する指導者も珍しくなくなった。しかし、小嶺先生は50年以上前から生徒を自宅に住まわせ、奥様も寮母として生徒の母親代わりとして世話をしていた。そうした生活は島原商時代から変わらず、国見でも貫いた。また最後に指揮を執った長崎総科大附でも70歳を超えても寮に住み込み、孫ほど年の離れた子どもたちと生活を共にする時期もあった。
 
 今でこそ当たり前になったが、バスで遠征する流れを作ったのも小嶺先生だった。サッカーが今ほど盛んではなかった時代だったが、自費でバスを購入して遠征を実施。最初は九州近郊に足を運んでいたが、気が付けばその足は全国に伸びた。当時はそうした行動に学校側も難色を示していたが、最終的には根負け。小嶺先生自身も事故などに注意を払い、疲労が溜まる長距離運転の際には運転席の脇に家族の写真を置いて懸命にハンドルを握ったという。そして、夜は遠征先の指導者たちと酒を酌み交わしながら、深夜までいろんな話をしたことも小嶺先生にとって貴重な時間だった。

 若かりし頃は帝京の古沼貞雄先生、浦和南の松本暁司先生、習志野の西堂就先生に教えを乞い、自らの見識を深めたという。

「古沼さんは浦和南と練習試合をする時に『ベストメンバーで行く』と言えば、絶対にそうなんだけど、FWとDFを入れ替えたりする(笑)。それを聞いて、『なるほど』と思ったもんです。こんな一流の指導者でも駆け引きをするんだなと勉強させられました」

 逆に歳を重ねると、今度は自分が聞かれる立場になった。
「懇親会をやれば、夜中までサッカーの話をしてくれましたね」

 そう懐かしむのは市立船橋で80年台後半から2000年代初頭に一時代を築いた布啓一郎氏。疲れていても、夢中になって遅くまでサッカー談義に花を咲かせたそうだ。

 その開かれたマインドはメディアに対しても同じで、筆者もいろんなことを教えていただいた。まだ新米のライターだった頃に話を伺う機会をいただいた際、未熟な自分にも嫌な顔ひとつせず丁寧に受け答えをしていただいた。以降も何度足を運んでも、似たようなテーマで話を伺っても、「構わないから」と言ってその度にユーモアを交えて話をしてもらった。30分だけの約束でお話を聞きに行っても、気が付けば2時間経っていたこともしばしば。小嶺先生にお話を伺うといつも生徒になった気持ちになり、背筋が伸びていたのは今でも覚えている。
 
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